原発から南へ20〜30kmに位置する広野町は、沿岸部が津波の被害を受け、福島第一原発1号機が水素爆発した翌日の3月13日には全町民避難が実施された。2011年4月22日に全町民への避難指示は「緊急時避難準備区域」へと変わり、子供や妊婦、入院患者以外の人の居住は緊急事態へ備え避難や屋内退避ができるよう準備しておくことを条件に居住が認められるようになる。しかし、原発事故の収束対応拠点地ともなっているこの地へと帰還する人は数少なかった。同年9月30日、事故収束に向けたステップ1が達成されて水素爆発の可能性が低くなったとの理由から、国は広野町の指定を解除した。解除されてもなお、残されている問題は膨大である。約5300名の広野の人々のうち2012年2月時点で広野町に戻ったのは約250名に留まり、未だ大部分の人々は町を離れての生活をしている。

その広野町に2011年7月から戻って生活しているマツさん。厳しい生活環境を受け入れながら、体に馴染んだその場所で強く立ち続けている彼女の笑顔は、照らすような慈愛に満ち、かつての広野を包んでいた空気を、想い起こさせた。

「んだけど幸せ」
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