毎日こう、日誌を書いてるんだけどね、そしたら3月11日の前ね、地震が3回くらい来てるのよ。毎日毎日。「地震が2回。びっくりして立ち上がる、浜通りに津波注意予報が出るが、解除になる。震度2。」「毎日毎日何回も何回も地震があって嫌んだこと」って書いてある。それが3月10日。津波警報出たけど解除なったのね。地震はその頃よくあったんだよね。でも津波なんて、ここに家建ててから50年、警報はあっても来たことは1回もない。んだから私、津波っていうのは初めて。

洗濯干してたの。うんと日当たりよくて。そうしたら、ひどくこの吊り戸棚が揺れてる音するのよ。「あらっ、なんだっぺこれ地震だわ、あらら」って、今度玄関の下駄箱も全部倒れた。止まんないんだよ、なかなか。長くて。外に出て行ったら、みんなが近くのお店んとこ集まってて「どうしたど?」「どうだった?」「いや~おっかねこと~」なんて言ってるうちに余震が来た。

そのうち今度は、そこの店屋の先生が「高い所に行け」ってね。先生と奥さまと、それと中学2年の子と私の4人で高いとこ行ったの。こっから上がって行って、役場んとこさ行った。ほしたら、こんでもかってぐらいの自動車もいたし、人もいた。「なんなのこれ?」って言ったら「今、津波が来たんだ」ってこう言うんだ。ここの常磐線の土手んとこ、3メートルくらい、水たぷたぷあったんだと。でもこっちは常磐線の土手が堤防になって、津波来ねかったの。だから、常磐線に感謝でありがとう!!んだから津波は私は分かんねかったね。

常磐線の土手をくぐるトンネルが近くにあるでしょ?あそこも水たぷたぷだったんだと。大工さまが行くに行かんねかったって言うんだ。奥さまの実家が海の方なの。そこんとこにしばらくいて見てたって言うんだもの。んで、あのトンネルいっぱいだったっていうんだ、水。

寒くて雪降ってたんだよそんとき。そのうち日も下がって暗くなってきたの。どうにもなんね。どこの家もぐちょぐちょだもの。しゃあないからそれから福祉センターに行ったんだわ。そしたらね、福祉センターでおにぎりひとつくれたの。暗かったんだわ。みんな海見たからだと思うんだ。電気も点かないし水も出ない。したら、この店屋の先生が、近くにある娘の家さいったら電気も点くし水も出るって言うわけよ。だから先生の娘さんの家さやりなって。んで、みんなには悪いげど行くからって、そんで先生の車で行ったの。そんときね、トンネルの前は通行止めだったよ。道も水がたぷたぷ。

その次の日、原発が爆発したのね。んだら、今度は遠くさ逃げろって言うんだよ。広野町から出ろって。そいで三日目に先生の知り合いの住職さんがいる久之浜のお寺。久之浜あの頃、50人くらい津波で亡くなってたんだわ。お寺には住職さんと奥さんだけだ。あれだから、次の日に、寺から先生の車で郷ヶ丘に移ったの。そんときねあれ、ガソリン。私ら買ったら終わったよ。ギリギリ。ガソリンもなにもバカみたいに行列だったわあそこら辺。そんで郷ヶ丘でうちの息子に電話をかけた。うちの息子も「うちのお母ちゃんどこさいんだっぺ」って探しに家まで行って、そしたら先生が郷ヶ丘さ行くって玄関さ書置きしておいてくれてたんだって。そんで息子もだんだん分かって、郷ヶ丘に迎えにきたの。

そのあと、郡山の息子の家に1カ月、東京の中野にいる妹のところに40日いたの。旦那はいねえし一人だから気楽なもんです。そこで新聞見てたらね「いわき市の避難所の入浴施設、吉野谷鉱泉」なんて書いてあったんだわ。あら、これはいい、広野の近くに戻るべっていわき市に来た。そこは上げ全据え膳。お風呂はあるし、朝夕飯だけ出してもらって、あとはお昼はマルト(スーパー)に行ったり、セブンイレブンに行ったり。沸かし湯の鉱泉の旅館だから素泊まりの人もいっぱいいたよ。私はそこに2カ月いたの。

そのうちに暑くなるでしょ。吉野谷鉱泉て盆地の中なの。暑いんだ。エアコンもねえし、いやとてもこんでは...。私、吉野谷鉱泉さんに言ったの「ちょっと悪いんだけど、扇風機持って来てもいいでしょうか」って。そしたら「古い扇風機がある」って、部屋に置いてくれたの。だけんども今度、だんだん7月も半ばになったら暑いべよ。そしたらうちの息子が「かあちゃん、ここさ夏いられっかい?」ってこう言うわけ。んだらば広野さ、はぁ行くべって。

そんでいわき市の勿来にいる私の兄弟の所に移って、そこから広野の家に通って、大工さまに家直してもらった。ほれ、自分の家もぼっこれてるから(壊れてるから)。みなぼっこれたよどの家も。仏壇のあれからみんなぼっこれたよ。神様だって買わなきゃなんねよ、ぼっこれてっから。広野はもともと一人暮らしの責任者を一人近くで決めておかないとなんなくて、大工さまに責任者してもらってて、鍵も預けてあんの。んで大工さまに「私いなくたって構わねから家直して」ってこう言ったの。そうして、私がいないときも作業してもらって、住めるように直したの。勿来の兄弟には、一週間に一回は頼んだな「悪りいけんど広野さ連れてってちょうだい」って。兄弟の家っていっても、ただで居れるわけでないからやっぱりね、何か買う。三日に一回は買い物は行って。そんなのだってやっぱりお金はかかんだわ。何か買い物さ行くってなると、どさっと買ってよ。帰りタクシーで帰宅して。なんぼ息子だって兄弟だって、嫁さまも、娘だって気遣うってみんな言う。みんな苦労してるわ、そういうので。

そうして、私の家を住めるようにして、7月16日に広野に戻って来たの。そっちの戸も作ったし。みんな作ったのよ。後ろのブロックも、それ立派になりました。大工さまは私らの工事したってお金とんないんだよ。「構わねえんだボランティアで」ってこればっかり。だから気の毒なんだわ。この家直すのに毎日来てたよ。「人夫(にんぷ)の人も頼んだらいいんでないの」なんて私言ったら「人夫だって1万はくんなくちゃなんない(あげなくちゃならない)」って。だったら自分でやった方がいいって。ほいで人夫とおんなじことやってるよ、うしろの工事も塀んところも。

私らはまだいい方だよ。ほんとに海の方は気の毒。立派な家あったんだよ。きっと位牌も流さっちゃど。みな。あと広野より先は原発で入られないでしょ。楢葉の友達が「戻れていがったなあ」って。私は「遊びさおいで、泊ったっていいど」なんて言ってね。

んだけんど広野の人誰もいなんだよ。みんなおっかなくて(怖くて)居らんねえって言うんだよ。とても広野の家さおっかなくて居らんないって。

「一人で大丈夫?」「よくひとりでいること」「一人でおっかなくないの?」ってよく聞かれる。一人だって平気だな。おっかなくも何も。うちの人が亡くなって20年だ、私。一人は慣れてる(笑)。一人だって何ちゅうことねえっていうの。

防犯の見回りの人も広野町で何十人かいるんでねえの。ほら、暗くなるでしょ。そうすっと何班かに分かれて見回りするんだわ。それとね、警察もうんといるよ。私も息子と「あら警察来た!」なんてシートベルトめっけて。夜ね、そっちのガラスのとこポカって赤くなったりすんのね。「あら赤くなってなんだっぺ?」って。あの赤い電気は警察の巡視の人だと思うの。ほかの家で泥棒なんて入られたからね。うちはね、息子がここの玄関とあっちの部屋の電気、暗くなると電気点くようにしてね。そうすっと門まで明るいのね。誰もいない時も、昼も夜も点けっぱなし。そうすっと人がいるように思うんだって。だからこの家は泥棒入られなかった。泥棒入られたってあれだけど。結構ここら辺入られてるよ。「通報済み」って張ってあったりしてね。結構入られたなあ、みんな。何回も入られたって歯医者の家だわ。4回も入られたって。今はぼっこしたけどね。それからみれば、うちの息子が、電気点けておけっていうのはまったくその通り。

宅配は来るようになった。いや~しかし届くのに時間かかるね。私は時々、うちの息子に車にのっけてもらって買い物に行きます。だって、何にも売ってっとこないんだもの。

わしって医者の薬飲まんないから。効きすぎてダメなの。今から8、9年前だけんど抗がん剤も飲まんねかったよ。だってつわりみたいになんだよ抗がん剤って。それから手術して終わって最初は半月に一回とか病院に通って、そのうちだんだんと三カ月毎ってなって2010年の3月で、もう来ることないと。そんでそれから医者に一回もかかんないよ。そしたらね、このあいだ漢方薬局の人としゃべったらやっぱりね「一人でいるのが何てことないって言ってるけどね、やっぱりストレス溜まってる」って。んだから酒とは言わないけど、やっぱりリラックスな生活しろって。

朝起きたら必ず深呼吸。そして、足動かしたりなんだり。あとは起きたら水を一杯飲む。夜寝る時も深呼吸。特に腹式だらいいわ。肺炎なんてのはなんないですむよ、腹式は。私はそれが癖になってっから、肺が丈夫なんでねえの。ほんとに保険料ずいぶんとらっちぇるようだけど、何てことないです(笑)医者にも行かないで。だって医者いねんだもの。

一般民も来ねえっていうのは、店もねえからだっぺけんとも、大人ばっかりの人も来ねえよ。放射線気にしてっとは思うんだけど、これ気にしたら郡山、福島あたり、葛尾村、飯館...。気の毒だよね。

私は友達と10年以上毎日歩ってたの。今は人もいねえからずっと歩いて無がったんだけんど、今日初めて歩ったの。ここを出てって海の方さ行こうと思ったら橋が流されちゃってねえんだよ。「ようしそんではこっち側さ行くべ」と思ってこんど上さ行って6国号国道からセブンイレブンとこからぐるんときて、そうして一人も行き交わない。この、人いねえってのはちょっとね。あの大臣がなんか言ったでしょう前に。ほら、『死の町』。

昼間は自動車なんてそこらへんにあんのよ。でも3時半ころ帰んだ。避難所のほうに。誰もいねえよ。隣組の60なんぼくらいの独身の人は帰ってきたわ。あとはここらの立派な家みんな、ぼっこすんだよ、これから。

まあとかく、レストランも何も始められない、人がいねんだもん。だから広野に来た人、やっぱりみんな言ってるもの。さっさと年寄りはみんな来ていいなんて言ってんのね(笑)ガンになっとは限んねえんだから。んだけども「ただ店さ居たって人一人も来ねえ」って、「ガソリン代だけで損しちまう!」って。いわき市の四倉にある仮設住宅に入ってる人も結構いるよ。それもね、あと1年も居らんねえんだと。じゃあ何でまだ居てるんだって聞いたの。「だって、買い物って言えば近くにマルトさあるべ。医者もだっぺ」って言う人もいんの。わたしは医者さ行かないから医者に用はないけどさ。この前マルトまで行って何千円て買い物してきたわ。冷凍物とか、買いだめ。前はアイアイって店がちょっと小さいけど広野にあって便利だったのよ。電気が点いてお店が開いたのかなと思ったら、東電の下請けさ貸して事務所にしてるみたいなの。だから夜になっと真っ暗だ。アイアイって店はね、買うと夕方まで必ず配達したの。これは良かったのよ。結構利用してたのね。それがないんだ。ねえと不便なんだわ。新聞もねえんだよ。新聞は息子が週に一回持ってきてくれる。新聞屋さんもやりたくても人数が少なくて出来ないって。広野の学校は来年の2学期からだっていうけど何人来るもんだか、なんてね。


いや、んだけど幸せです「幸せ」だ。医者さもかかんねでよ。まず人に世話になんないようにしなくちゃなんない、と思います。まったく、私は何てことないです。まあ大きい地震、あとは来ねえべからと思って、わし一人で地震になっても、安心して夜あっちの部屋で寝ててさ、履物は置くけども、2度とこういうこと無いと思ってます。

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