ようやく。ようやく。遅ればせながら筆を取った、いや、正確にはキーボードを叩き始めた。書き始めた今は10月の前半から半ばに差し掛かろうかという時期。既に震災から半年・・・、いや、もぅ、7ヶ月を迎えようとしている。季節は冬→春→秋と進んでいる。振り返えればあっと言う間な気もするけれど、やっぱり長かった7ヶ月間。自身のそれこそリアルな日記になってしまった当時のブログ記事を読み返し終えて今、キーボードを叩き始めてる。

PRAY+LIFEへのコラムのお話を最初にいただいたのが既に数ヶ月前、その間、何度かに渡るインタビューも受けさせていただいた。それこそこの数ヶ月の間、まったく文章を書けない程に忙し過ぎた訳でもなく、書く為の「時間」はきっと、いくらでもあったハズだし、文字数無制限でOKだよ?の言葉にプレッシャーを感じ過ぎちゃってた訳でもなかったハズだ。ただ、うん、今この時期になって、ようやく指が動き始めた。いや、頭が動き始めた?とも言えるかもしれない。

work1.jpgのサムネイル画像いわき市に移り住んでもうすぐ丸11年という頃に、今回の震災が起きた。2000年から約10年間務めた会社を辞め、イラストレーター・デザイナーとして独立し、ようやく少しずつ動き/動け始めた矢先の震災だった。会社員生活と平行しながらも、イラストを生業とすべく進み始めてからちょうど10年の今年、2011年。同じく活動10周年を迎える、いわき市内のイラストレーター仲間との、それを記念する二人展を翌々日に控え、その直前準備に追われていた。そのさなかの今回の「揺れ」だった。揺れが収まった直後はまさかそんな状況になってるとは想いもしなかった。さすがにデカい揺れだったし、仕事部屋中しっちゃかめっちゃかになったけれど、それでも尚、翌日の搬入/設営の為に準備してる作品をカタチにしなきゃ!の想いの方が大きかったのかもしれない。その揺れが、ただ事じゃないと分かったのは、地震の後に偶然居合わせた友人の家で仲間と集まって一夜を過ごした際に、東北沿岸部の津波の映像をテレビで観た時だった。既に地震発生から数時間以上が経ってからの事だった。

そんな状況の中、当然ながら二人展は延期となり、水道インフラの復旧見込みもつかない中、水汲みに向かう毎日を過ごしていた3月~4月の時期、1本の電話が鳴った。東京での作品展示の機会をいただけると言う。しばしの準備期間を経て、いわき市内を中心とするクリエイター仲間17名の作品を携えての東京都内4箇所に渡るグループ展ツアーがスタートしたのは6月に入ってからの事だった。クリエイターとか、グループ展とか、ツアー...なんて言うとちょっとカッコ良く聞えてしまうかもしれないが、実際にはそんな大層な事では、まったくない。ある意味、...出稼ぎだ。地域密着で活動してた自分には、そもそも震災後、仕事すらなかった...。

work3.jpgその6月までの間、地元応援のステッカーを制作してみたり、地元ライブハウスでのイベントを敢行してみたりを経ての6月ツアー。同ツアーを本当に沢山の方に助けていただきながら、無事に終了しつつ、その後、更に数ヶ月の時を経てこの10月に再挑戦をスタートさせていただけた二人展「ANNIVERSARY ReTrial」の開催まで、きっと、多分、ずっと、何やかんやと突っ走り続けて来たんだと思う。震災から半年強、突っ走る事を止める事ができなかった。止まったらきっとその瞬間に、何か、何だろう...、ずっしりと重ったい何かに覆われて、きっと次のスタートを歩み始められなくなるんじゃないだろうか?と感じていた。ある種の強迫観念みたいなものがあった。いや、正確には、コレを書いてる今もきっと感じ続けてるんだと思う。実際に、震災から精力的に動いていた周りの仲間達が、ちょっと一段落した春の終わりから初夏の時期に次々と体調を崩したりもしていた。

原子力発電所事故の、とりわけ放射能問題を取り巻く状況、もしくは、復興に向けた皆さんの前向きな活動・・・それ以外の被災地の状況が、少しずつテレビから流れなくなって、今まで通りのバラエティ番組が放送される事が当り前になっても、その時間と同じだけの時間が世界中全てで、もちろん東北の隅々まで、流れてる。遠く地方の実家に戻った時や、ちょっとした田舎町に旅行に出掛けた時に、ついつい「ココは時間の流れがゆるやかだね」なんて言ってみたりするけれど、実際には決してそんな事はないハズで。同じだけの時間がそこでも流れてて・・・、テレビのニュースを見る度に、そういう感じの時間感覚のズレみたいなモノをここしばらくずっと感じてる。と、同時に同じ福島県いわき市内においても、私の住むエリアはいわき市の中でも沿岸部の様な津波の被害もなく、ある意味、今となっては、少しずつでも今まで通りの生活が出来ている場所だったりもしている。一口に東日本大震災(この表記自体にもいまだに違和感はあるが...)と言ってもその個々人で状況がまったく異なるし、それに関わる人の数だけ色んな想いがある。それぞれの状況の想いを伺ったりを経て、自分の中のジレンマは時々刻々と大きくなっていたりもしている。

私は震災後、原子力発電所の事故の後も本当「たまたま」の流れでずっといわき市に滞在し続けていた。ありがたい事に県外からの沢山の心配の声もいただきながらも・・・残ってた。別に意地を張ってる訳でもないし、今の状況を楽観視していた/しているワケでもない。逆にもし私に小さい子供がいたのなら、むしろすぐにでも県外に移っていたかもしれない。だから本当「たまたま」だった。そしてそれ以上に、いや、単純に、愛すべき仲間が沢山いる場所だっただけなんだ。生まれは鳥取県、県外出身者だ。ただ、11年の時間を過ごして、第二の故郷...いや、まさに今 生きているこの場所で、もう少し踏ん張ってみたいと想った。もう少し、今までとは違う事が出来るんじゃないか?と想った。

震災直後のしばらくの間、こういった非常事態/非日常の中で、自身が出来る事の限界も感じていた。イラストレーターやデザイナーとしての立場で、何ができるのか?と。ただ、自身を肯定できる機会がいくつかあった。その中でも共通して印象的だったのが、4月に敢行したライブイベントと、先日10月頭から再挑戦させていただいた「二人展」でのオープニングパーティーだった。自身の作品や活動が直接的に誰かをポジティブな方向に向かわせる事が出来たかどうかは、分からない。ただ、4月、10月のそれぞれのイベントで「再会の『場』を提供」出来た事は間違いなく、それが、嬉しかった。4月のイベント(確か17日だったと思うのだが)は、震災後1ヶ月、ましてや4月11日,12日の大きな余震を直前に受けた時期。その中で、連絡の取れてなかった仲間同士がその場をキッカケにお互いの無事を改めて確認し合っていた。先日の二人展オープニングも同様に震災後初めて再会する仲間達の姿があった。もちろん今回の震災で多くの犠牲があった事は重々承知の上だが、私自身も震災後初めて再会した多くの仲間と無事を喜べたのがそのイベント達だったのだ。少なくともそういう機会を共有し続ける事が出来れば...との想いもあって、次のイベントの企画をスタートしている。

全体的には何やら支離滅裂になってる感じの今回のコラムだけど、重い腰を上げていざキーボードを打ち始めると、書きたい事が次々湧き上がってきた。ある意味このコラムも日記の一部なのかもしれない。想いは時々刻々と変わりつつあって、半年後にはまた今とは違った想いを持っているかもしれない。今回の震災や事故そのものについては、もちろん肯定出来ない状況も沢山あるが、ただ少なくとも、自身にとっては次に向かう原動力にはなっている。転んでも只では起きねぇ...の気持ちでいる。リアルタイムな東北・福島の状況は同じ時間感覚で進んでいる。その中での、少しずつの動きの中で、少しずつポジティブな想いが増えて行く事を...願い祈っています。

2011年10月11日
ユアサ ミズキ

work2.jpg