実家のあるいわき市四倉町に戻ってきてから、夕方の犬の散歩はもっぱら私の日課だ。



震災の後、私と息子は放射線量の高い福島市の自宅に不安を感じ、転々と避難生活を送っていたが、7月の半ばからいわきの実家でお世話になることになったのだ。



家から海まで歩いて5分。震災の影響でガタガタになった道路を通り、塀や家の一部が崩れた家屋の横を通り海へ。



海はとても穏やかだった。



『この海が暴れちゃったのか...』
震災当時ここにいなかった私にはこの海が堤防を越え、町に大きな恐怖と被害を及ぼしたことが信じられなかった。
それでも砂浜に降りてみようとは思えなかった。信じられないけれど事実あったことを思うと足が進まなかった。



いわきでの生活が落ち着いてきた頃、同町で食堂を営んでいる叔父のお店を手伝い始めた。お店は津波で膝上の高さまで浸水してしまったが、修繕し早々に営業を再開させたのだ。
始めの頃は、まだ四倉に人が戻り始めの頃だったので閑散とはしていたが、原発作業員関係の注文があり需要があったという。
最近では、震災で被害のあった道路、水道管の修復工事の作業員や、家屋解体の作業員、駅近くにできた仮設住宅の人などでお昼時は人でにぎわう。



でも、叔父が四倉商店街の名簿をみせながらポロリつぶやく。
「ここもここも。みんな店やめちゃったんだよ。うちの常連さんの家も解体されて町からいなくなった。今は工事の人なんかでお店も混むこともあるけど、常連さんがいなくなることが心配。これから先を考えるとほんとの被害はこれからじゃないのか。」



先のことを想像すると不安がでてきてしまう。私もそうだ。



「それでも一日一日生活していかなきゃならねえからな。」

と、鼻歌まじりで仕込み作業をしている叔父を頼もしく思った。



秋に四倉海岸で行われたいわき凧揚げ大会に息子を連れて見に行った。

砂浜は人でいっぱい、青空に映えるたくさんの凧を見上げていた。
希望もある。そう思えた。

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