ph_009_01.jpgいわき市泉町にある諏訪神社は平安時代にその由来を持つ神社である。

天文年中に津波によって社殿が壊れ、山の上へとそのご神体を移し、江戸中期に泉藩の祈願社となり、安寿と厨子王の祖父とも言われる岩城判官政氏公の旧舘跡に奉還。現本殿は寛永八年に泉藩の藩主本多忠籌公により建てられ、心学を学んだ忠籌公に因んだ「心」を型どった池を持ち、多様なご神木の美しい緑に包まれて重心のあるお宮が建つ。諏訪跡宮、若木神社、秋葉神社、判官社、金刀比羅神社、足尾神社も境内末社として祀っている。

古からこの土地を見守って来た泉諏訪神社の神の使いは龍。そして、この神社の今の跡取は姉妹の神主だ。

姉のなおみさんは12年前に神主の資格を取り、7年前から神主として宮司の父を支えながら、諏訪神社にお仕えしている。神主になってからも、父でもある宮司から学び、大和言葉の勉強もしながら、ここ数年でやっと1人でご奉仕が出来るようになった。お祓いやお宮参り、地鎮祭、御霊祭り、式年祭など、神主のおつとめは多岐に渡る。亡くなった人をなぐさめて高天原に登ってってもらう儀式も任されるようになった。

「御霊祭りでは、家族と一緒に私も泣いてしまったりして。また失敗してしまったなあと、泣いちゃうとちゃんと出来ないからだめなんですよねえ。」言葉からもなおみさんの優しさが滲む。

地震が起きたとき、なおみさんと家族は母屋にいた。ドカーン、と大きく揺れ、続いて上下横にぐるんぐるんと揺れた。柱を掴んでも立てないような揺れだった。食器棚の器は全部落ち、床は破片だらけだった。「中は危ないからみんな外へ出てー!」なおみさんは叫び、無事に家族全員を外に逃した。玄関から出てふと上を見ると、屋根の上の瓦が浮きながら揺れ、次の揺れで、一気にジャラジャラジャラーと地面へと落ちた。一体何が起こったのかわからなかった。

とっさに本殿のことが頭をかすめる。「お宮見てくる!」そう言い残し、境内を走ってお宮に向かった。池を回り込み、不安になりながらひたすら走ってゆくと、2つの獅子はいつもの通り空を睨みながら石の上に立ち、その奥で、お宮は何ごともなかったように、獅子に守られてそびえていた。ホッとしながら、母屋の方へ歩き出す。そこで、なおみさんは鳥居と灯籠が崩れ落ちているのに気がついた。そして、鳥居から見渡せる泉の街は、塀がすべて崩れ落ち、砂埃のもやに白く包まれていた。

「境内末社は大丈夫だろうか?」その後なおみさんたちは様子を見て回った。歴史を持つ神社の建造物が数多く崩壊していた。かろうじて形を保っていても、その危険性から崩す事を余儀なくされた神社もあった。"大事に何百年も守ってきたものたちが、壊れてしまうとは。"残念で胸が詰まった。ご神体をお移動しなくてはいけないが、とてもお移動の儀式が出来る状態ではない。「神様ごめんなさい」なおみさんは心の中で神様に謝罪し、ご神体だけを風呂敷に包み、持ち帰った。

自宅は、断水はしたものの生活そのものは出来る状態。給水所も近く、蔵には保存食が残っていて食事の心配もなかった。いつも以上に日々の生活をきちっと過ごして行こうと決め、宮司である父が仕事を滞りなく出来るよう家族でサポートした。神社に避難に来る人を受け入れられる準備をし、外へも手助けをしに行こうとしていた矢先、原発の情報が入る。外へ出られないジレンマの中、心配がつのる。「町はどうなっているのか?人は?お店は?」完全防備をして自転車で見て回る事にした。

避難所となっている公民館に行き「足りないものありませんか、個人ではあるんですが何かしなくちゃと思って来たんです」そう伝えると、「調味料がないんです。」という。家にもどり、残っていた一升瓶のしょうゆと味噌、塩をリュックに詰め、篭に乗せ、届けに行った。

東京の神社からも支援物資が届き、近所の残っている人たちや総代さんに分けに行った。カップラーメン2個、マスク、岩清水八幡宮のご神水。「もらうのは申し訳ない、わたしら避難所にいるわけではないのにもらっていいんですか?」そう遠慮する人々に「元気分けてもらったと思って受け取って下さい」と渡した。実情は、残っているのは年配の人ばかりで、避難所にも貰いにも行けず、家にあるものを細々と食べてやっと繋いでいる人ばかりだった。地震の後片付けを自分たちでしなければと頑張りすぎて倒れるお年寄りもいた。

やっとガソリンが手に入り車で海岸へ向う。ボートや車が家のなかに突っ込み、様々なものがひっくり返り空中に逆立ちになっている。言葉が出ない。漁港でもある街。神様をとても大事にしてきた人々でもある。海に出て行く度に神様にお祈りし、自然の大きさを知る人々が、犠牲になってしまった。
「神も仏もない」家族や家を失った人から呟かれる言葉。

「それでも、神様に守っていただいているってことは変わりないはず。神も仏もないっていうようには思ってもらいたくない。私たち神主にできること、神主として心の安らぎとなるような事をして差し上げたい」

お参りや神棚を通じて身近に神様を感じてもらうことで、お家にも神様がいるといった、昔から日本人が持っている宗教観念を復活させていくことで「安らぎ」に繋げられないだろうか、と思った。伊勢神宮からも、神棚がなくなってしまった方々のためにと、小さな宮型が沢山送られて来た。しかし、小さな宮型を配ろうにも、神社には、お家に出向いて話すといった習慣も経験もない。どうしたらいいのかも分からない。なかなかきっかけをつかめない。悩みながら過ごすなおみさんは、まずは出来ることをしよう、と、瓦礫撤去の手伝いを始めた。

一方で、神社の繋がりの中でも、様々な問題が浮かび上がり始める。原発の事故により、守って来た土地を離れなくてはならなくなった神主さんたち。神社を失ったあとの生活は、それぞれで探すしか無い。

消防団の仕事もしている双葉町の神主さんは、外を回っている時に避難を促されお宮がどうなっているかわからないまま、貴重品も持たずに避難を余儀なくされたそうだ。双葉町の神社のことが片時も頭を離れない。「おら、もし、入れるようになったら、我れ先に戻るんだ」と言い続けながら、今は仕方なく、避難先での仕事を探している。

緊急時避難区域の神主さんはそのまま町に残っている。ほとんどの町民は出て行ってしまった。来る人もいない。生計の不安もある。店も開いていない。その状況の中、最後の1人になるまでその土地を守っている神様を守ると、今も生活をしている。「誰か1人でもここにいる限りはここにいる。動く時は最後だ。」

飯館村の神主さんは「おれはひっぱられたって出て行かねえ、何といわれようとも柱にしがみついてもおら出て行かねえ。」と粘り、避難しても避難先から毎日通い、お家のお祓いや解体のお奉りに行くが、今後、さらに離れた地域に避難になるともう通う事もできなくなる。その先はまだ分からない。ご神体をどうするかという問題もある。「神様にお守りいただいていている地域、氏子のみなさんも守って下さってるって気持ちがある。簡単に遠くに移すわけにはいかない。」

同じ志し持っている人たちを何とか助けてあげたい。そしてまた、私もここにいて、ここを守って行きたい、となおみさんも話す。

ph_009_02.jpg「神社に来ると安心すると言う人もいます。だからみんなが来た時に、ちゃんと神社にいるようにしたい。そのために、妹も今、神主の資格を取っているところなんです。1人が外にご奉仕に行く時は1人が残り、姉妹で助け合いながら、いつでも神社に来る人をお迎え出来るようにしようと思っているんです。神社に必ず神主がいるってことが分かれば、人も神社に気軽に来れるようになると思う」

鳥居の前に立った時に、前からふわあっと風がきたり、後ろからさあっと押されてる感じがしたり、龍が神の使いでもある泉諏訪神社では、神社にいったとたん雨が降ったり、晴れていたのに急に雲行きが怪しくなって来た時は、"雲や雨に乗って神様の龍がやって来てくれた"と人々は喜ぶ。

なおみさんもまた、朝、晩、おつとめをしていると、神様の存在を感じる。いらっしゃる、というのを感じるそうだ。それは、感じるとしか言いようがない感覚で、目には見えないし、声も聞く事ができない。だけど、感じる事が出来る。

「清々しい気持ちになって、力が湧いてくる。また踏み出そうって気持ちになる」なおみさんは穏やかに微笑んだ。

13年後に泉諏訪神社は今の本殿建立から350年の節目を迎える。なおみさんは、その節目に合わせ、泉の人たちや集まってくる人たちが一緒に楽しめるようなお祭りをしようと計画している。昔、神社のお祭りは、子ども達にとって楽しみがぎっしり詰まった場だった。参道は両側に出店でいっぱいになり、その間をお神輿が、出店に当たるか当たらないかすれすれに揺れながら通った。境内には夜まで人が溢れ、束の間夏の暑さを忘れ、人々の楽しむ顔が出店の明かりに照らされて集った。子ども達にもその楽しさを味わってもらいたい。演奏会や盆栽や地域の人達も参加してもらって作って行く、そんなお祭りにしたい。

その頃には、港が復活し、町に活気が戻り、人々が安らかに暮らしているだろうか。今の子ども達が産んだ子ども達が、祭りには顔を上気させて集まって来て、大人も子どもも一緒になって、夜更けまで笑って祝う。そんな日を祈りながら、龍の天井絵を見に本殿へ向った。神社を守る木々が碧碧と空に向って葉を伸ばし、風にそよいだ。