「店再開は出来ないかも、福島で働けなくなるかもって思ってました。あの時は、街を歩いてもすれ違う人がほとんどいなかった。「国の言ってることを信じよう」「いや、それは嘘だ」って意見の違いもあって。ここは人の出入りが多いし、支援物資を溜めるスペースになっていたので、余計に情報も交錯していました。水や米を集めて運んで来てくれる人、連絡なしに来てくれる人、ガイガーカウンター買って、20キロ圏内もガンガン突入して数値測って帰ってくる人達もいて。震災が起こる前からずっと反核活動してきた人達は、知識もあるし物もあるし、命知らずで。今ホットスポットと言われている場所にも騒がれる前に行って、小学校の体育館裏を測ったらガイガーで100(μ㏜/h)超えたとか、そういう情報が結構あって、やばいなと思いました。」

ph_photo_t031.jpgライブハウスclub SONIC iwakiの店長をしている三ケ田さんは、東北道上で震災に遭った。妊娠中で秋田の実家にいた奥さんと2歳の息子と仙台で落ち合っていわきに戻る途中だった。叩き付けるような揺れの後、道が波打ち、目の前でパッカリと割れた。彼は急いでラジオを点けた。
「地震が起きました」
「津波が来ます」
「15分で津波が到達します」
「ただ今○○に津波が到達しました」
始まった津波へのカウントダウン。読み上げられる地名には、身近な場所が含まれていた。

後から知った被害は驚くべきものだった。津波がこんなにも恐ろしく、これほど多くの命が失われていたとは。

落下物で塞がれている道を行き来しながら、彼は家族を家に送り届け、ライブハウスへと向った。扉を開けると、アルコールの臭いが充満し、床には割れた酒瓶が散乱していた。この日SONICでは、大勢の学生たちが、学校の卒業ライブを楽しんでいた。揺れが起きた時、フロアには悲鳴と瓶が壊れる音が反響し、この世の終わりのようだったという。照明や機材が無事だったのは幸いとしか言いようが無い。家に帰れなくなった学生数人とスタッフ達に、近くにある姉妹店バロウズを避難場所として解放することにした。

翌日、原発が爆発した。お腹の子どもと小さな息子、三ケ田さんと家族は日を追うごとにどんどん追い詰められていった。放射能の子どもへの影響を思うと、恐怖だった。
「実家の秋田に避難した方がいいのではないか?」
インターネットで調べると、福島空港から羽田、羽田から秋田まで飛行機が飛んでいることが分かった。しかし福島空港までガソリンが持つかどうかも分からない。"連れ歩いて流産でもしたら、手段が断たれて野宿することになったら・・"心配は尽きなかった。

そんな時、神奈川の友人や東北ツアー中のタテタカコさんから連絡が入った。「羽田まで来れば何とかなる。何日でもうちに泊れ」「秋田空港まで来られれば迎えに行く」励ましの言葉が彼の背中を押した。ガソリンは持ちこたえ、その日に羽田へ、翌朝の便で一家は秋田に降り立った。今まで培ってきた人の繋がりに助けられていることを、彼は感じていた。

* * * 

3月末、秋田で家族と過ごす三ケ田さんの元にライブハウスの水道復旧の知らせが入り、彼は一人でいわきへと戻った。避難場所となっていたバロウズには、食料と水の確保に懸命に走り回り、毎晩身を寄せ合う仲間たちの姿があった。傷を見え隠れさせながらも、集まっている彼らは楽しそうにも見えた。

しかし、誰も演奏を始めようとはしなかった。音楽を演奏することは「不謹慎」という雰囲気があった。

休業のまま、毎日有り余る程の時間。彼は、ラジオを聴くために古いラジカセ引っ張り出し、一緒に昔聴いていたカセットテープを持ち出した。懐かしい曲がラジカセから流れる。思えばずっとノンストップで働き続け、自分の時間が失われていたことに気が付く。
「こんなにゆっくりと音楽を聴くのは十年ぶりくらいかもしれない」彼は思った。

その頃、震災の数日前ライブをしたばかりだったうつみようこさんが、いわき市にやって来た。うつみさんは、ソウルフラワーユニオンのメンバーとして阪神淡路大震災の復興活動に携わっていた方でもある。写真家の平間至さんやDragon AshのATSUSHIさんらとともに、いわき芸術文化交流館アリオスでの炊き出しに来てくれたのだった。食事を振る舞った後「歌ってください」との人々の希望を受け「ええ~?!」と驚きながらも積んで来たギターをうつみさんは持ち出した。
「じゃあちょっと歌います」
彼女は4曲歌い、その歌は空気をあたたかく変化させて響き渡り、聴き入る人々の心が溶け出していくのが感じられた。曲間の小話に笑い、皆が感動し拍手していた。その場にいたライブハウスのスタッフから「これはもうライブをやるしかないんじゃないか」という話が自然と持ち上がった。みんなで店の再開を決めた。

「みんな音楽をやっていいものかわかんなかった。亡くなった人がいっぱいいるのに、賑やかにライブってどうなんだろうって思ったから。でもそれを見て、みんなの様子を見て、すごく感動して。こういうことをやっていってもいいんじゃないかって思えた。」

チケットチャージゼロ。ドリンク代のみ500円。箱代等一切なし。チケットノルマなし。プロミュージシャンもギャラ無しで、それでも出てくれる人のライブはやる、と決めてスタート。毎日申し込みが殺到し、すぐに予定が埋まった。毎日となるとさすがに店としてのマイナスは大きかった。しかし「どこまでやれるかやってみよう」とスタッフ同士の意志は固かった。

初日の4月9日。スピーカーがドウン、と振動した。音が鳴っている。100人以上のお客さんがそこにはいた。皆、全身で音を受け止めていた。

* * * 

1カ月後、秋田にいた奥さんと子供がいわきに戻ってくる事になった。三ケ田さん夫妻はガイガーカウンターをいわき市から借り入れ、放射能から子どもを守る方法を学び始めた。

「ここにずっと住むかどうかの決断はいまだにできてない。でも、ここの土地から離れられない何かがあるんですよ。思い入れとか、友情とか、そういうもの。秋田の親戚からは戻ってきなさいよって未だに言われますが、まだやり残した仕事がある。周りの人から沢山助けてもらったし、来てくれる人たちとここで頑張る人たちが出会う場所だから、いなきゃいけないなって思います。

いわきは放射線数値が比較的低いから人が集まりつつもある一方で、沖縄やいろんな土地に移住する人も多いです。夫婦でも何度も何度も話し合って。でも移り住むリスクを考えると、そっちのほうが大変だなって思った。全員で移住したら仕事がなくなるし、子どもと奥さんだけ移住しても、二人の子育てを嫁が一人でやるのは無理だと思いました。

子供を育てていると、もうこういう事故は絶対困る、と思うので反対活動には極力行くようにしてます。それで得られる情報も多いし。でもまだ知識も足りなくて、後で気が付いて「あの時は間違ってたな」っていうのも沢山あります。そんな中で、子どもをいわきで育てている事を伝えた時に「早く出ていきなさい!!」って言われるのには正直参りました。ここに残っている身としては、しんどい話で。そうだよな、と思ってしまうし。だから出来るだけ食べ物や行く場所には気をつけて、いろいろ情報を集めて、秋田に保養にもなるべく行って「これなら大丈夫だろう」と思えるところまでやってはいます。でもやっぱり、子どもには、悪いなって思います。他の土地で差別を感じる出来事もあったし。結局自分の判断が本当に正しいのかどうかは未だにわからないです。

今のちっちゃい子達が今後苦労するかもしれない。だからこそ、地元のいわきで頑張ってる先輩達の姿を見せておきたいという気持ちもあります。

震災で辛い思いをしている地元の若い子の中にも頑張ってるのがいて、そういう若者の姿を自分の子どもに見てもらいたいし、そういう10代、20代の子たちにちゃんと育ってもらいたい。それで気合の入った生き方を伝えていって欲しいです。成功してる、してないとかは全く関係なく自分の考えを持って"バスっとやる"かっこいい大人"を増やしていきたい。逆に今それが出来ると思う。

他の場所で何か言われた時に「でもいわきの先輩はみんなすげーよ。お前に何がわかる」と思えたら全然違うと思う。悪く言われた時に、へこんでしまうか前向きになれるかで全然違うんじゃないかと。本人がどう判断してどう行動するか以前に、前向きな気持ちを持ってもらいたい。住む、住まないは別として地元に誇りを持ち続けてもらえたら嬉しい。だから自分でもやれることは出来るだけやって、頑張ってる子らのいる場所をキープし続けたいと思ってます。地元でも、いわきでも出来るんだってことを見せたいし。

リクオさんていうミュージシャンの『パラダイス』っていう曲があって、若い頃はどこかにパラダイスがあるんだと思っていろんなところを旅してきたけど、違うと。明日どうなるか分からない、いつ死ぬのかなんて分かんない、でもとりあえず今日はここにいる。だから、今ここをパラダイスにしよう。自分が頑張れば盛り上がる。ここをパラダイスにするかどうかは自分次第。そういう曲で、まさにそう思います。

店としては反対、賛成じゃなくて言いたい事、やりたい事をちゃんと表現できる場所にしたい。ダメだと思うのは"言いたいことを言えない状況"。本音で話し合える場所があったほうがいい。それが店のスタンスです。可能な限り100%表現できる場所を目指してる。だから出演者は選ばないし、俺らは出演者の手助けをするだけ。それぞれの意見や考え方をお客さんが受け取ってどう感じるか、が全てだと思うので。ここは沢山の人たちが集まるので、情報もよく入ってくるんですよ。反原発を公言するミュージシャンもいます。「俺は放射能を止めるために毎日腕立てを始めました」とライブで言った方がいて。笑えるようにしながら、俺は反対だよってしっかり意思を伝えてくれて。すごく良いなと思いました。

こんなかっこいいこと言ってるけどまだ全然何もできてないんですけどね。宣伝不足だとかブッキングが決まらなくてとか、やっぱり客が入んなかったとか。だから全然まだまだなんですけど。ただ「楽しくやってるよ」という言葉は出てきます。

ここは世界の末端で、中身の分からない金や意見に左右されていない。話し合いが出来る距離で全部動いている。情や気持ちが中心で動いてるから。ルールはあるけど意味の分からない決まり事はないし、あったとしてもみんなで話し合えば壊す事が出来る。金はないけどこれやりたいんだって言われて、こっちが泣く時もあれば、そんな繋がりでまた来てもらったり。気持ちで支えられて気持ちが全てを動かしていて、だから、今やっている事の理由がよく分かるんです」

* * * 

震災後のある日、ずっと仲が良かったマーガレットズロースの平井正也さんが中心となったイベントがSONICで開かれた。一緒にやってきた仲間も加え、沢山の人が会場に集まった。そしてライブ後は、バロウズで打ち上げをした。べろんべろんに酔いながら、騒ぎ、笑いあった。やがて、空が白み始めた頃、みんなそれぞれの帰途へ着いたのだった。

微かに窓の間から朝の光が差し込む。
がらん、とした店内に三ケ田さんはひとりポツンと立っていた。

その時、扉が開いた。
「おとうさーん」
小さな息子が、走り込んで来た。ふいに、涙が止まらなくなった。泣かないので有名だった彼が、声をあげて号泣していた。入ってきた奥さんが、そんな彼を見つけて爆笑した。
「泣いてるー!」
大好きな人たちが自分が困ってる時に身を削って、利益じゃなく助けてくれたこと。家族が一緒にいられる幸せ。今まで蓄積されてきた想いがとめどなく溢れ出す。最初は笑っていた奥さんも、家に向う途中で一緒に泣き出した。
「よかったねー」
2人は笑いながら泣いていた。夫婦の号泣する声が車内を包み込んでいた。


clubSONICiwaki
http://www.sonic-project.com/~sonic-iwaki/