「一家に1人くらいは原発関連の人がいる。ここは原発の町だから」

町の一部でもあった原発。保彦さんと路代さん夫婦は揃って原発協力企業に勤め、車で10分の福島第一原発に通勤していた。『原発なら安心だ』それが、抱いていた意識だった。

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遅めのお昼を終えた路代さんが、仕事を再開しようとパソコンを開いたその時だった。ゴゴゴゴゴと下から突き上げてくるような揺れ。そのままの体勢で暫く静止して様子を見ていると、急に揺れが大きくなった。
『今のうちにドアを開けておかないと、閉じ込められるかもしれない』
ドアの方へと移動した直後、今迄いた場所の天井が崩れ、たまたま休暇を取っていた隣の人の席へと落下するのが見えた。
『ああ、今日あの人休みでよかった』彼女は小さく安堵した。

揺れが収まり始めるのを見計らい、外の駐車場へと避難して全員の無事を確認した。上司が「現場を見てくる」と原発の建物の方へと向った。そしてすぐに小走りで戻って来ると、言った。
「下は建物も全部津波を被っていて、行ける状態じゃない」
すぐに、社員全員に帰宅指示が出された。

停電で町中の信号は消え、亀裂だらけの道はソロソロと走る車で渋滞していた。1時間近くかけてやっと家に辿り着き、玄関を開けた。足の踏み場も無い。夕闇の到来とともに深まってゆく寒さに身が震えた。闇に沈んでゆく家の中から毛布を引っ張り出して車の中に戻ると、暖房をかけ、毛布にくるまって体を温めた。

「状況はどうなっているのだろうか。この土日は休み返上で地震の片付けかな」
ラジオも携帯も電波が入らない。何も為す術がないまま、ぼうっと空を眺めた。


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2時46分、保彦さんは福島第一原発の建物の中にいた。揺れる建物を出、車が停めてある駐車場へと走る。後ろを振り向くと、波が壁のように立ち上がり、こちらへと向ってくるではないか。全力で走って駐車場まで辿り着き、車に乗り込みとエンジンをかけ、ペダルを思いっきり踏み込んだ。敷地内の高台にある会社事務所へと急加速する。高台に近づくと社員たちの姿が見えた。

車を止め、彼らと合流した。東電からの連絡や避難指示の放送は無いようだった。「地震の片付けでもしようか」と事務所に戻った矢先だった。社員が駆け込んで来た。
「何やってんだ!みんな逃げろ!早く敷地の外に出ないと危ないってみんな言ってる!」

外へ出ると、多くの人が半パニック状態で敷地内から逃げ始めているのが見えた。ゲートを出るには、社員証カードを機械に通さなくてはならない。凄まじい数の車が一斉に出入り口に殺到し、長い列となっていた。保彦さんはその列の最後尾に車を付けた。

やっとゲートを通過し家路についた。そして、駐車場で車に乗っている路代さんを見つけ、窓を叩いた。
「避難した方がいいらしい」
明日になれば戻れるだろうと保彦さんは思っていた。事態がそこまで深刻だとは、思いも寄らなかった。


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夫婦で近くの公民館に行くと、近所の知った顔がずらっと並んでいた。長い間使われていない埃だらけの公民館に入り、ストーブやガス台などを確認して回った。「米があれば炊ける」数人が家まで米を取りに戻った。水道は断水でもこの辺りの家には井戸水がある。水を汲み、米を研いで鍋に入れ、石油ストーブに乗せた。

公民館には後から後から人が集まり続けた。米を炊き、ラップでおにぎりを握り、再び炊くことをひたすら繰り返した。すべて終えた時には自分達の分は無かった。夫婦はそのまま車に戻り、毛布に包まり眠りについた。


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翌朝、役場の人が公民館にやって来て言った。
「福島第一原発から10km圏外まで逃げた方がいいという指示が来ました。皆さん避難準備をしてください」
「逃げろっていうなら逃げるしか無いか」と集まっていた面々が腰をあげる。
住民の1人が乗っているワゴン車に、公民館で使っていたガス台とガスコンロ、茶碗を積み、出発した。

町を離れる前に、公民館に顔を見せなかった人の家に立ち寄った。
「みんなが逃げるんだったらそれはそれでいい。でも俺はこの場所にいる。」
動こうとしない彼に「最悪の場合は避難してね」と言い残し、住み慣れた町を後にすることにした。

浪江町に入るとまだいくつかの店は開いていた。インスタントラーメンやバナナ等を買い込み、休憩を取り、米を炊いた。爆発のことも分からないまま原町まで移動、その後、避難所があるという川俣町へ向かうことになった。

着いたのは夜だった。避難所は人で溢れかえり、聞くとおにぎりも足りない状況だと言う。「私たちはラーメンとかがあるので大丈夫です」そう伝え、彼らは再びガスコンロをワゴン車から引っ張りだしてお湯を沸かした。

その時、1人の電話が鳴った。電話口の声は、尋常ではない緊迫を伝えていた。
「とにかく遠くに逃げてくれ。出来ることなら出来る限り遠くに、遠くに逃げてくれ」

彼らは再度話し合いをし、そこでの解散を決定した。
「ここからは個々の選択に任せる。ここに残るもよし。どこかに行くもよし」


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保彦さんと路代さんは、子ども連れで避難している娘家族と合流することにした。受け入れてくれる避難所を探し訪ね歩きながら、子ども達を抱えたまま福島にいるのことの厳しさを感じ始めた。
「電話が通じないけれど、埼玉にいる娘のところに行こう」
地震の影響で高速道路は通行止めとなっている。夜のうちに出発し、下道で埼玉に向かうことにした。

白河市を通りかかった時だ。『子どもには安定ヨウ素剤を飲ませた方がいい』という話が伝えられた。白河市内の保健所や病院などに聞いて回ったが、手に入らない。そうしている間に、ガソリンがなくなり始めた。
「とにかく行けるところまで行くしかない」覚悟を決めながら進む。

途中の道の駅で休憩していると、娘が山盛りのおにぎりを手に戻って来た。ある女性に人数分のおにぎりを渡されたという。
「おかあさん、こういういい人もいるんだねえ」
娘が、久しぶりに柔らかい表情を見せた。

幸運にも途中でガソリンが手に入り、埼玉へと入った。とたん、携帯がけたたましく鳴り始めた。大量に溜ったメールや留守電が一気に携帯に流れ込む。着信履歴に並んだ埼玉にいる娘の電話番号に、急いでリダイヤルした。
「やっと通じた!よかった!」娘の涙声が電話口から響く。娘は震災発生からずっと自分と夫の携帯の二つを手に握りしめたまま、交互に母に電話をかけ続けていたのだった。

翌日、家族を娘の家に残し、保彦さんは、まだ福島県内にいる両親を新潟へと避難させるため、福島に戻った。心配していたガソリンが会津で尽き、友人や知人の協力を得てやっとの思いでガソリンを工面し、吹雪きの山を越えた。新潟に両親を下ろし、再度埼玉へと戻った彼の元に、会社から電話が入った。原発の事故処理業務の連絡だった。

「会社が自分を必要としているなら、今まで自分でやってきた仕事だし、被爆しても何でも、この先をやらなきゃならない」
そう言い残し、保彦さんはひとり、福島へと戻って行った。

福島第一原発で業務にあたり、休みになると埼玉にいる家族の元に帰る生活。お腹に赤ちゃんがいる娘のことも気遣い"一切放射性物質は持ち込まないようにしよう"と決めた。保彦さんは途中の健康センターで体を洗い、そこに路代さんが着替えを持って行き、保彦さんが着ていたものはビニール袋に入れて口を縛り、車外には一切出さずに福島に持ち帰った。

しかし、いわきナンバーの車に対する周囲の目は厳しかった。「放射能を持ち込まれるのは困ります」という貼り紙がしてあることもあった。
"別に好きでここに来た訳じゃない。でも仕方ないのかもしれない。立場が逆だったらそう思ったかもしれない"そっと貼り紙を剥がした。

まもなく夫婦は、自宅から通勤出来るいわき市で、家を探し始めた。保彦さんの体調を気遣っての選択でもあった。高齢者や子ども連れ優先の賃貸斡旋を待ち続け、アパートが見つかった頃、季節は秋になっていた。

「自分は健康不安はない。会社の健康診断も毎月受け、ホールボディー検診も受けているので。検診を受けていない家族の方がむしろ心配です」
「私たちは別にいいけれど。まだ若い娘夫婦は、家も無くなり、仕事も無くなり、これからどうするんだろう?孫も保育園に入ってちょうど慣れてきた頃でした。みんな、何かしら抱え、心に負担があるのは、同じだと思う。」

かつて、町で会えば「元気?」と挨拶を交わした人、
顔を知ってる人、野菜を貰った人、
「花いっぱい咲いたから」と持って来てくれた近所の人、
木枯らしの季節になると「あんぽ柿出来たから取りにこいよ〜」と電話くれた人。

当たり前のようにあった日常は、今はもうない。

「怖い。すべてに対して怖い。人間関係の話を聞いても、このまま、町が分裂していくのかなと思うと怖い。こうやって、誰も知らないところに移り住んで、また地震や何かが来たらどうするんだろう?って思うと、怖い。その反面、この短い間にいっぱい色々な友達にも出会えたし、友達には本当に良くしてもらって、幸せで楽しいことも沢山ありました。ただそれでも、いつもどこかに、引っかかったように、その"怖さ"が存在している気がする」

「気晴らしに歩けよ」保彦さんが言う。
「道だって良く分からない、知らない土地だよ?」路代さんは答える。

「でもそこで嫌だって立ち止まっていてもどうにもならないし、そういう風に流されてやっていく他はない」

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