バッハの曲の旋律が静まり返ったホールの空気を震わせ始め、感情を放つような団員の気迫が全体を包んだ。水戸室内オーケストラの震災後初の公演。

毎週のように楽器を奏で、毎月コンサートに行くのが当たり前だったかつての感覚が蘇る。震災後ずっと失われていた音の世界。この数ヶ月、仕事とボランティアに明け暮れていた。

会場が一体となって奏でられる音が体の中にも響き渡り、ひとみさんの目から涙が溢れた。そして、その溢れ出る涙とともに、ずっと体の中に溜め込んでいたものが和らいでいくのを感じた。

「こうやって聴けることが嬉しい。」

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

「やっと仕事が終わった!明日は小旅行!来週はスキー!月末はヒラリーハーンのコンサート!」大量の仕事を抱えて過ごしたこの1年を思い、ほっと一息、ひとみさんはコーヒーの香りに包まれて顔を綻ばせた。

次の一瞬、2時46分。日常も休暇も消えた。


家に戻り、会社から帰ってきた夫と2人、落ち着かないままに情報に耳を傾けた。
『原発の近くに住む祖母や叔父家族は大丈夫だろうか?』『避難所の人達は大丈夫だろうか?』心配が尽きない。家にある食料も残り少なかった。あるものを掻き集めて、少しづつ食べ繋ぐことにした。

そこに、祖母を乗せた叔父の車が避難途中で事故を起こしたとの連絡が入った。

爆発時、叔父の家に地鳴りとともにドーンッとすさまじい爆発音が響いたそうだ。町中の人々は逃げるために次々と車に乗り込み、細い道には、車が車線も道幅もはみ出して4列になって並び、ギュウギュウになったまま渋滞していた。その異常な混雑の中で起きた事故だった。

全員命は無事だったものの、車はグシャグシャに潰れ、祖母が入院という事態となった。救急車が来ることも出来ない。近くの病院にも行くことも出来ない。何とか、郡山の病院に入院させてもらえることになり、叔父達は予定していた静岡行きを変更し、郡山へと向かった。

続いて2回目の爆発が伝えられると、いわき市でも多くの人達が避難し始め、2人の元にも友人からの避難を促すメールが次々に入ってきた。その一方でラジオでは、避難所の暖房が足りません、スプーンが足りません、といういわき市内の情報が流れ続けている。

「避難地域の人達や津波被害の人達がここに逃げてきているのに、私たちが逃げてる場合じゃない。逃げて来た人達を助けてあげたい。」そう思いながらも、もっと大きい地震が来たら?という不安もあった。

彼女は市内に住む母の顔を見に行った。母は言った。「おばあちゃんが退院して郡山からこっちに来るかもしれないし、私は区長さんの避難指示が無い限り、ここに残るよ」その言葉を聞き、ハラが据わった。

「残ると決めたらあとはやれることをやるだけ。何とか、今困っている人の力になりたい」それが、ひとみさん夫婦の決断になった。市内限定で始まったボランティアにひとみさんは参加し、ひとみさんの夫は、地震で破損した水道管の修理ボランティアをし始めた。


「誰かの助けになりたいと思って始めたボランティアでしたが、逆に家の食材が底をついた時にはお米をもらったり。何かあれば手を差し伸べてくれる人がいました。動ける人が動いて、動けない人は誰かの助けを借りる。それでいい、手を差し伸べた相手じゃなくても、どこかで巡り巡るんだって思えるようになりました。

私は、親戚や祖母が原発事故の影響で戻れない状況にいますし、原発近くにある父のお墓参りも出来ません。今年の春予定していた父の13回忌も出来なくなりました。それはとても切ないし、悲しいことです。でも、今こうやって電気が使えたりするのだって、原子力の力もあってのこと。そこで働いてきた沢山の人達のことや、私たちの生活に本当に必要なものは何なのか?をもう一度考えることや、新しいエネルギーにシフトするまでに私たちが負うリスクのことも考える必要があると思う。

放射能に対しても、私にとっては、我慢した方が後悔する生き方だって思うんです。放射線の影響を気にしながら過ごすよりは、明日何食べよう?って日々の楽しみを楽しみたい。放射能の影響が心配だから子ども作らないとかもありません。出来たら嬉しいし、それはもう運命だから。明日死ぬかもしれないのに、不安な人生なんてもったいない。私らしく生きるのが、私にとって『生きる』ってことなんです。

自分の人生は自分の思うようにならないし、外からの要因で変わってしまうことだってある。親の仕事の都合で、年に何回も突然転校になるような子ども時代を送って来たからかな。変わったらどんなに辛くても元には戻れないんだ、ということが骨身に沁みていて、変わったら変化したその環境を、その人生を楽しもうって思う。

今まではすべてが当たり前すぎた。むしろ今の方が楽しい。一つ一つが貴重なんだって思えて、充実感があります。音楽を聴けることが、ご飯食べれることが、水が出ることが、生きてることが、ありがたい。日常生活が本当に大切で。大事な事は何なのか?って考えるようになりました。今までは仕事のことばかりだったけれど、仕事プラス好きな事をして生きようって今は思っています。」

ひとみさんは最近、山歩きを始めた。休みの日の朝に1人で近くの山に歩きに行く。

「山歩きは、早く歩こうが遅く歩こうが、いつか頂上に辿り着ける。
この日常に、美しい自然に、歩ける自分がいることに、感謝したい。
小さい頃から虚弱体質だった体を鍛えて、自分の力を見てみたい。」