震災後、ゆきえさん夫婦が保育園を再開したのは2週間後だった。余震の収まらない中、毎日が避難訓練の連続のようだった。

揺れて避難、また揺れて避難。しかし思いのほか、地震の揺れには子ども達は順応しているように見えた。むしろ、大きな問題となったのは放射能による外遊びの禁止だ。それは、子どもにとっては空気の一部を切り取られるようなものなのだ。

保育園では、赤いツブツブを描きながら、子ども達に放射能についての説明を行った。
「今、危険なツブツブがこんなにあって、外に出るとそのツブツブをたくさん吸いこんじゃうから外には行けないんだよ」
送り迎えのお母さん達もマスクをし、放射能を少しでも避けるために、子どもを抱えて車と玄関の間を走っていた。

「放射能はもう24時間のことなので、子ども達にとっては地震より放射能ですね。ストレスが溜まるとケンカが増えたり、普段はおとなしい子が噛みついたり、やっぱり言葉にできないストレスをみんな抱えていました。いくらお遊戯室があっても外遊びで受ける刺激とは全然違います。とはいえこの状況下、土や葉っぱは子どもが触らないようにしたい。でも子どもは外に出たら触りますから。そうすると外には出せないですよね。」

8月に入り徐々に線量が落ち着き始めた頃、園では屋外活動を検討するため、保護者へのアンケート行った。保護者の許可が出た子どもについては、1日30分以内と決め、高圧洗浄機で除染したアスファルト上で、毎回水を張るタイプの簡易プールを使った外での水遊びを取り入れることにした。

保育園の給食の材料も、なるべく遠いところのものを使うよう業者にお願いをした。

「お預りしているお子さん達のことですから必死です。保護者の皆さんも心配していましたので、話をしっかり受け止めて聴き、園の対応を随時お知らせしてきました」


ゆきえさんの家でも子ども達の避難について話し合った。震災時に母親がいないという体験をしていた子ども達は「家族で一緒に居たい」と口を揃えた。無理に親から離すことも子どもに精神的影響を与えてしまうし、何かあった時に家族がバラバラだと守ることも出来ない。家族は一緒にいることを選んだ。

「避難に関しても放射線対策の仕方も、子ども達の精神的負担とのバランスを考えました。例えば、最初は家の中にいるようにしていたのですが、子ども達はイライラしてケンカばかりしていて。全く運動しないことが身体や心に及ぼす影響を考えたら、休日くらいは公園に行って走ってもいいんじゃないの、という風に今は切り替えました。

でも、うちは避難をしていない分、外部被曝をさせてしまっているので、少しでも内部被曝の積算量を減らすよう、なるべく遠い所の食材を選んでいます。ただ、無かったらやむを得ず買います。近くのスーパーで買える範囲で対応しています。パンと牛乳のみの給食も2学期から完全給食になりましたが、クラスメイトと違う行動は子どもの心的ストレスになると判断してお弁当は持たせることはせず、家での食事を気をつけることで放射線量の合計を下げることにしています。」


そしてこの夏、保育園では『真夏の原発避難訓練』を行った。

猛暑の中、窓を閉めてエアコンを切り、園児と職員合わせ100人程で屋内に籠る。あっという間に気温は30℃も超え、空気が湿った。暑さと熱中症との闘いだと分かった。子ども達の健康状態に配慮し、すみやかに訓練を終了した。

ゆきえさん達は通常会議に加え、震災対策についての会議をすることにした。
外に出る時に子ども達をどういうルートで避難させるか。プールで外に出て裸になってる時に急に地震が来ることを想定して服はどこに置いておくかといった具体的なことを話し合った。「この会議で震災の体験をみんなで分かち合えたのも良かったですね。いつも通りに仕事を頑張っていた職員たちが実はすごく困っていたといったことも、その場でお互いに知りました。」

話し合いから、もともとあった水や乾パン、マスク、布団類などの備蓄に加え、防災用品を追加購入、ポリタンクや、先生がガラス等から足を守りつつすぐに避難誘導出来るようにサンダルの準備、粉ミルクのストック量の見直し、トイレ用の水の貯水、LEDの懐中電灯の全部屋への設置、暑さ対策のためのうちわ等も準備することになった。

何かあった時は子ども達を守り続けられるような心構えを持ち、常に災害は起きるものと思って行動し、原発のことも考えることが必須となった。

「私たちは原発止めるだけの力を持てなかった。だから、日本国民、特に福島県民は覚悟を持つべきだと思いますよ。覚悟しながら、原発とどう向き合うか考え続けなくてはいけないと私は思います。

原発にしても汚染物質の中間処理・最終処理施設にしても、これまでの経過を見ると他県で受け入れ先があるとは思えません。まずは福島県で安心して生活できるよう、支援を集中させて処理を進めてほしいと思います。

ちょっと厳しい言い方をすれば、私たちの周りの世代が、長年の間に選挙や利権関係で選んだ人や選んだことが、結果となって今に繋がっている訳です。だから私たち大人は被害者でもあり、かつそれを許してしまった加害者でもあるんです。

ただ、これ以上何かあった時の対策として、確実な避難ルートや防御手段は完璧に作って欲しい。もう何かあった時に他人任せでは困ります。

今回地震がたまたま福島県の近くで起きましたが、これだけたくさん原発ができている現状を考えれば、どこだって第2、第3の福島になる可能性はある訳です。福島の人口でかつこの県民性だからこのぐらいで済んでるのであって、他のところで起きたらもっともっと大事件になって、もっと被害者が多かったと思いますよ。だからって福島県でよかったとは絶対思わないですけど、事故は起こるものという前提で原発と暮らさなきゃいけないと強く思ってます。

今までも、こんな危険なものを何で大丈夫って言ってるんだろうって思っていました。電力が必要なら使用電力を抑えるとか他のエネルギーにすることを考えたい。お金の面でも、ランニングコストの部分だけで原発は安いと言いますが、建てるお金や処分のお金については全然答えが見つかっていないし、何万年かかっても分解できないようなものに人間が手を出したことに対して、私はものすごく怒りを覚えています。ただそれは個人の怒りだから、地域とか社会を動かすにはやっぱり何らかの団体行動でないと動かせないかな。

子ども達に背負わせてしまったことは申し訳ないと思います。でも、この福島県で生きて、私たちの子どもである以上、ここで暮らすというのは、もう覚悟ですよね。私たちの家族は簡単に手放せない仕事もあるし、覚悟と共に生きて行こうと思っています。直ちに健康に害を及ぼすというのではないので「本当に幸せに家族が暮らす」その方法を、今はここで探していきたいと思ってます。ただ、これから大規模な爆発があったら、それはもう分からない。子どもを連れて逃げるかもしれない。

国には"放射能がある中でも子どもを育てても大丈夫だ"という研究を、子ども達のためにキチンとして欲しい。でも一方で、子ども達自身も学んでいかないと。自分を守れるのは自分しかいないから。勉強をして、ちゃんとした情報を収集し、しっかり分析出来ないと結局流されてしまう。問題を拡散させたくないから福島県だけに背負わせる、とか、絶対にあってほしくないですね。

安全だと宣伝されていたものが、実はとても危険だった。怒っていますよ。いろんな怒りがあるけど、子どもを切り捨てたことが許せないって思いますね。私たちみたいに選挙権がある大人は、力があるのに行使しなかったのだからしょうがないとして、これから先、被害を受けるのは、ちっちゃい子ども達だから。

いつから子どもより大人を守る世の中になっちゃったんだろう。

原発がなくなれば電力が少なくなるから国が困ると言いますが、日本は今までも困った中から復興してきたのであって、困れば困ったなりに日本人は知恵を出していくと思うし、省エネ家電も電気料が高くなればどんどん普及すると思う。そうやって変わっていくと思うんですよね。

これを教訓にして、やっぱり日本全体が変わっていかないと、これからも同じことが起こると思う」