ph_photo_t017.jpg鳴き砂の白い浜。美しい海。豊かな自然。
プロボディーボーダーの吉田さんは、東京から仕事でいわきに来た時に豊間の海に魅せられ、そのまま移住を決めた。
海まで歩いて数分のところに家を買い、毎日ボードを持って海に泳ぎ出た。

「天国だよね。浮かんでる時間、海に浸かってる時間がいい。波がよければいいし。海がよければいい。他はオマケ。」

『ロッキンボディーボーダー』音楽×波乗り×アート。ロックな生き方を波乗りを通じて表現する、彼のスタイル。
ロックは音楽でもあり、波乗りでもあり、アートでもある。それを人生の真ん中に置いて彼は生きる。
ボディーボードのイベントプロデューサーでもある彼は、福島でも過去10回エモーションカップという大会を開催してきた。しかし今、福島での大会の開催は難しくなった。

「俺1人で何ができるかっていったら、もう自分の生き方を出すしか無い。」


* * *

3月11日の朝、いつものように海に行くと、驚くほど海は澄んでいた。
白い砂が輝き、透明な碧い海がどこまでも広がる。まるで南の島の海のようだ。
美しさに胸打たれ写真を撮った。

海は静かだった。昼まで波間に浮かび「今日は乗れる波は来ないな」と海からあがった。

市街地へと車で出る。そこで大きな揺れが起きた。すぐに家に残して来た犬と猫のことがよぎり、車を飛ばした。一番近いルートは通行止め。途中まで引き返し、また別のルートから豊間に向かう。しかし、家に続く道は瓦礫に遮られていた。

車を止め、瓦礫の山をよじ登りながら家までの数百メートルを歩いた。まわりはもう薄暗かった。足もとの瓦礫に一歩一歩足をかけながら、家を目指した。
家は残っていた。津波は玄関ギリギリのところで止まっていた。犬と猫を連れ、車に戻った。

翌朝太陽が差し、地獄絵図が彼の目に映る。
「夢の中みたいだ。」現実と分かっていても、自分の気持ちが違うところにあるのが分かる。
誰もいない。そして、映画の中に放り込まれたように、唐突にすべてが一変していた。

吉田さんはそのまま、twitterを通じての安否確認や被害報告を始めた。安否確認のリストを写しては流し、人に会うと被害状況や安否を聞いた。確認してほしいと伝えられた場所を探して見に行っては伝えた。本当の海沿いで動いてるのは彼1人だった。日が傾くまで、たった1人瓦礫の中を歩き回った。
「ずっと絶望してた。風景、臭い、亡くなった方たち。報道も不安定だった。」彼はひたすら動き回る。心が押しつぶされないよう自分を保った。「困っている人がいたし、困っているなら助ける。自分はどうでもよかった。やらなきゃいけないことが目の前にあったんだよね。」

その後も炊き出し、瓦礫撤去、あっという間に四月、五月、と過ぎて行った。
友人に他県への波乗りに誘われても、海に入る気持ちにはどうしてもなれなかった。
目の前の海水は汚染され、豊間の海は入れない海になってしまっていた。
白かった砂浜は黒く淀み、地盤が沈下とともに、砂浜は海の中に沈んでいった。


やがて少しずつ日常が戻り始めた時、何ヶ月も閉ざされていた衝動が沸きあがる。
「海に入りたい。このまま入らないと、精神的に壊れる。」

カレンダーを見ると6月9日。ロックを愛する吉田さんの血が騒いだ。
海に祈り、また海に入れる事に感謝し、ここで亡くなった人のことを想い、海に入った。

「海は凄い。もう結局、俺たちって生きていく上で背負って行くしかないって。
普通に生活するにも、放射能の問題も原発の問題もすべてに背負いつつ生きるしかないって。
背負いすぎると壊れちゃうから、その背負い方も、海が教えてくれたよ」

彼だけでなく、他のサーファーやボディーボーダーも自己責任で海に入り始めている。
「波乗り同士では話しはしないな。やっぱり怖いからかもね。
俺は子どもいる訳じゃないしどうなってもいいって思うけど。
女の子はいないよ。波乗りの若い子は元々少ないけど、若い男の子も見ないね。
勿来海岸はセシウム出たけど、北茨城は不検出なの。やっぱり距離もあるみたい。
海水浴場を開く為の調査だからって言うけど、こんな状況だから全部調べろって感じ。

怖いのは慣れ。
海も、陸も。
慣れちゃうんだよね。

ここにいると平気じゃん。普通にコーヒーとか飲めるのに、車でちょっと行ったところは立ち入り禁止なんだよ。
ショックだし異常だよ。本当にアトミック戦争だよね。
そういうの考えると泣けてくる。ここで何してんだろう俺って思う。

人間って自分が体験したり、酷い目に合わないと分からないんだよね。
今回の震災とか原発の問題は、考え方、生き方を変えられるくらいの衝撃。喪失。絶望感だった。
保守的な福島は利用され、俺たちは大自然の中に生きていたけど裏のそういうシステムに踊らされていただけ。それが見えた。そういうものが露呈されたにも関わらず、またそこに向かおうとしていることにも怒りがある。
なんでみんな原発止めようって言わないんだろうって。
俺は今まで、反原発の活動をしてきたわけではないよ。
でも、素晴らしい音楽や凄いいい波に出会うと感動して変わるように、体験してここで変わるべきだと思う。
べきであってほしい、、ほしかった。。でも現実はそうなってない。
津波で失われた場所をもう一度復興しようとしてるけど、原発を無視して復興って言っても、向かえないよ。
汚染された中で生きて行くしかないんだよ、福島がもう特殊な地域にさせられてるよね。
起きた事はしょうがないと思う。起きた事に対してどうするか。

俺は、プロボディーボーダーとして、おかしいよってことを言って行く。
今まで、波乗りは普通に楽しむものだったかもしれない。でも今は違う。
津波が来るかもしれない、被爆するかもしれない、そういう中でも波に乗る。
悲しさはある。でもこのカルチャーは残る。だったらやらなくちゃいけないことがある。
俺は俺で新しいビーチカルチャーを発信して行く。

あきらめてるけどあきらめてない。
いつだって、絶望の中のちょっとした光が大事だと思う。」


2010年冬の波は違っていた、と吉田さんは言う。
ずっと西風が吹き続けて冬に来るはずの北うねりの波が来なかった。
冬なのに春のような海。
地震と津波が起きた時、それは地球規模の変化の中で起こるべくして起こったと感じた。

キュッキュッと鳴いていた白い砂は、もう鳴かない。
日本に3カ所しかなかった、不純物の少ない砂の音だった。

「多分俺たちが生きている間には、あの砂浜は戻らないし、あの海は戻らない。

地震とか津波ですら、自然の中の、長い地球・宇宙の中のほんの一瞬でしかないんだよ。
海にいると、それが分かる。
結局俺たちって、ちっぽけな存在なんだなってね。
そう思えば人はもっと優しくなれると思うし、自然で起きる事はすべて受け入れる。

でも、人間がやってどうしようもないことは止めるしかないよ。

原発止めようよ。それだけじゃない?
どの政党になろうが、税金上がろうが、電気代上がろうが、何でもいいよ。
電気代上がりますって「え?1000円で原発止められるの?だったら俺2000円払うよ?」って思ったよ。
もう取り返しのつかない事になってるし、もっとなるよ。
俺たちはここに何にも知らずに住んでたけど、実際何かが起きたらこうなっちゃうってことが分かったじゃん。
県が違うだけで日本全国、電力会社との構図が同じなんだよ。
日本全国で同じことが起きるかもしれないんだよ?」