ph_photo_t014.jpg由美さんとその友人はガイガーカウンターを手に入れた。放射線量計計測をしているNPO団体からの貸与を受けたのである。
2人は思った。「本当は1人一台持っていなきゃいけないようなものを、こんな限られた人しか持ってないっていうのがおかしい。お母さん達の不安を少しでも和らげるようなことに使おう。そして、計測を通じて1人ぼっちで苦しんでいるお母さんたちとも繋がっていこう。」

『測ってみっぺ!』と親しみやすい名前を付け、放射線量を測ってほしいと希望する人の家を訪問し、計測と除染方法の伝授をする活動を始めた。

測った数値を実際に見ることで、漠然としていた不安や恐怖が無くなり、お母さんの泣き顔が一気に晴れる。そして、前を向いて対策を考え始めることが出来るようになる。

ガイガーカウンターを手に、彼女たちが向かおうとしてるのは、悲観や悲壮感を訴えることではなく、対策に目を向けてポジティブに生きる道だ。

* * *

いわき市に住む由美さんは、地震直後、子ども3人を連れて福島市の実家に避難した。
放射能測定値がテレビのテロップで流れ続け、子どもたちは家の中で過ごさせたり、ネットで情報を得ながら子どもを守る方法を模索した。大きな余震も続き不安が家族を覆う。大家族で一緒にいるのが、せめてもの心の支えだった。

3月の下旬、小学校が通常通りに始まるとの知らせが入った。

「早すぎる」と感じた。
「大きい力や長いものに巻かれて、子ども達が犠牲になるのだけはごめんだ」

こう思うのは自分1人だけなのか。目立つことをすると孤立するかもしれないといった不安もあった。「でも、子どもを守れるのは自分しかいない。強くならなければ」と彼女は思った。母親としての直感を信じ、世間の流れに逆らい、いわき市には戻るものの、登校時期は延ばすことを決断した。

由美さんはネットからの情報や集まりを通じて放射線について学び始め、子ども達のためにどう動けばいいのかを探り始めた。その中で、専門家の話がバラバラなことも分かって来た。
「チェルノブイリでは、汚染された牛乳の影響を別とすれば、結局何も健康への影響は無かったので心配いりません。」「子ども達の病気や知的発達、人格障害を引き起こしたのは母親の神経質さが原因です。」といった話には、自分たち母親の責任にされてしまうのではないかという怖さをおぼえた。
彼女は少しでも子ども達の放射線リスクを減らしたいと、除染の話を学校に申し出た。しかし、いわき市は線量が低いという理由で却下されてしまった。やりたくでも立場上どうにもできないと、先生は言った。

「自分の力で最大限のことをするしかない」

家族間で避難のことも話し合った。高校生の娘は「結婚しなくてもいい、子供産めなくてもいい。この土地で今を楽しむ方がいい。」と主張した。「差別を受けることになるのは仕方がないのかもしれない。それでもいいって言う人と出会えるのが幸せなのであって、こちらから押し付けるものではない。家族のそれぞれの生き方は尊重したい。でも、子ども達を守りたい。」

由美さんは悩んだ末、避難を諦め、そのかわり内部被曝対策などの出来る対策は徹底していくことを決めた。家での食材は友人を通じて遠方のものを取り寄せ、小学生の娘には給食を食べず牛乳を飲まないように伝え、お弁当と水筒を持たせることにした。娘はマイペースに「これは自分を守る方法なんだ」と、他の子とは違う行動をすることもあまり苦にすることなく学校に通い始めた。

また彼女は、内部被爆対策だけでなく、放射能へのストレスを1人で抱えないことが大事だと感じ始めた。
「母親が元気じゃないと子供を守ることは出来ない。放射能の不安などのストレス抱えていたらイライラして子どもに当たってしまうし、妻がストレス抱えていると夫婦も円満じゃなくなってしまう。私は母親として、妻として、笑顔で明るく家族を照らす存在でいたい。そのためには、同じ想いのお母さんと繋がりを持ち、抱えている気持ちを楽にしていくことが必要なのではないだろうか」

その想いが『測ってみっぺ!』の活動や、子どもを守るネットワークを広めていく活動の出発点ともなった。
「自分と同じように、全てのお母さんにも家族を照らす存在であってほしい。長期戦だから、繋がらなければめげてしまう。」

しかし、由美さん達の活動は、考え方の違いと向き合うことからのスタートとなった。

「そういう活動のせいで制限とかが出て来たら、子ども達がいわきに残って頑張ってるのに部活とか出来なくなっちゃうでしょ。いつ事故にあって死ぬかも分からないんだから毎日楽しく暮らしたいし、びくびくさせるようなことは言わないで。嫌だったらここから避難しなさい」といった反論。
「風評被害をあおることになるから放射能のことは言わないでほしい」という、いわきの経済を守ろうとする意見。もちろん復興しようと頑張っている人たちは応援したい。

でも、子ども達を守らなくていいの? その復興の先の未来に、子ども達がいなくてもいいの? と思った。

「子供たちが大事っていう思いは同じはずなのに。悔しい想いの連続。もう、笑っていくしかないってなりましたよ」

開き直って自分たちの活動を続けていくうち、少しずつ、すべてが交錯する方向で物事が動き始めた。
『測ってみっぺ!』と平行して動いていた、いわきの子供を守るネットワークでの公園の除染活動が、地域の人々、子ども会のお母さん、地元の企業の人達と一丸となった形で実現したのだ。早朝から公園に集まり、木を切り、遊具を磨いて高圧洗浄機で洗い流す等の作業を行った。動けば変わるし、それが自分の活力源にもなるんだと由美さんは実感した。

「問題を変えて行きたいって思っている人たちが一斉に動いているので、人と人が繋がる。お互いの共通の部分がものすごい共鳴し合って、流れが作ってる、変わろうとしてるって思いますし、そこに希望を見ます。

目の前の子どもの問題はいわきだけでなく、日本全体の問題でもあるんですよね。今回も、利権の問題やほんの一握りの人たちの牛耳りでどれだけ多くの人たちが被害を受けるのか。戦争や平和の問題、世の中の流れ、いろんな問題の一つ一つが繋がっていると私は思うんですよ。「オカシイ」って今まで一人一人が思ってきた、テロや沖縄の基地問題と今の放射能の問題、取り残された感覚、何とかしたいって気持ち、お互い同じ問題だよねって話をします。

自分のことじゃないのに必死で動いてくれる人たちに沢山出会って、そんな人たちの生き方から希望や光も沢山貰っています。自分が乗り越えて来なかったいろんな壁を乗り越える時なんだとも思います。子ども達のことだけじゃなく、世の中のシステムを変えるきっかけがあるのだとしたら、今がその時だと思うんです。

だから目の前にあることすべてに取り組んで、やれるだけのことやって、子どもに対しても尽くせることは全部し尽くしたい。

動けば変わると思って動いたら本当に変わってきたし、動けば出会うと思って動いていたら本当に多くの出会いがあった。
振り返った時にちゃんとそれが見える、それが、明日への原動力になっています。

すべてはひとつ。どんな些細なことも。

不信感とか嫌悪感も抱くけれど、同じようなことは自分の中にも存在しているし、自分自身を見せられている機会なんだろうなと。
だから対立とか排他的にならなければ、どこかで繋がると思うんです」


4年前、転勤族の夫の赴任先がいわき市に決まった時、由美さんは「ハーブや作物を育てたい。」と庭付きの借家を探した。ずっと続けてきたライフワークでもある庭づくりとアトピーやアレルギーをもつ子供の治療として学んだ自然療法を続けたかった。自然のものからエネルギーを貰い、免疫力や自然治癒力をアップしていく智恵。ハーブを育てて収穫し、手間ひまかけて作ったものを楽しみ、香りで癒される、そういった豊かさを感じる暮らし。

砂利だらけのガリガリの駐車場を耕して土を作るところから始め、自分で堆肥を作り、土に鋤こみ、手作りの庭が花や作物でいっぱいになった。

放射能を浴びてしまったその庭を見ながら、
今また、由美さんは、
新しく鋤込みをはじめた世界に、希望の種を蒔いている。