ph001_03.jpg勇一さんはいわきの駅ビルの6階で研修の運営側として人が集まる会場にいた。

頭上から天井が落ち、スプリンクラーが壊れ、割れた天井の間からバケツをひっくり返すようにザバーッと水が降り注いだ。腰を抜かして動けない沢山の人たち。呻き声。下敷きになって大怪我をした人を担架に横たえて担ぎ、人でごったがえす階段を一階まで運び降ろす。救急車のサイレンが鳴り響き、修羅場と化した駅ビル。

震える手で家族にメールや電話をした。通じない。地下の駐車場は立ち入り禁止になり車を出すこともできなかった。走り回りやっと、家までのせてくれる友人が見つかった。数時間後にようやく、妻と3歳になる娘がいる事務所にたどり着いたのだった。

ドアをあけると、妻のヒカルさんは何事もなかったかのように友人4人とヨガのポーズを練習していた。一瞬あっけにとられ、気持ちが緩む。笑いたいような泣きたいような。

無事でよかった。

ヒカルさんは思い出しながら話す。「ちょうどヨガクラスをこの事務所でやる打ち合わせしてて、じゃあちょっとやってみましょうかってここでヨガやってて。そんな大惨事だとは思わなかったの。テレビもここないし。もちろん揺れたし、余震もバンバンあったんだけど、人がいたから押さえててもらって、事務所はそんなに崩れたりとか酷いことにならなかったの。コハルちゃんは揺れてる間はずっと抱っこして、あとは机の下に入ってたし。」

その後車で走り、割れ寸断された道路、自宅の足の踏み場が無い状態を見て初めて、ヒカルさんは起きた地震の大きさを実感した。

古くから、いわきは気候にも恵まれ、災害が少ないところと言われてきた。台風も避けて通る場所。まさかこんなことがあるとはここに住む人は誰もは思ってなかっただろう。守られている土地。それが「いわき」という土地だった。

災害はさらに、原発事故という形で加速する。同心円状に描かれた避難区域マップがテレビから流れ、いわきにも瞬く間に緊張感が走った。1号機に続く3号機の水素爆発。閃光が走り、直後に音速を超える衝撃波が建屋上部を吹き飛ばし、黒い噴煙が空へと立ち昇った。その映像が決定打で多くの人が車で退避し、この湯本の街からも子供の姿が消えた。「ここも危ないんじゃないか」「いやまだ大丈夫だ」「プルトニウムが検出」「水が飲めない」「子供をどうする」テレビやtwitterと睨み合いながらの日々が続く。情報は錯綜し、専門家はそれぞれ別々の見解を述べていた。

「早く避難しろ避難しろって、じゃあ避難していったらさ、ちゃんと生活して行けんの?って、分かんない。子供のこと思ったらここにいないほうがいいのか、早くなんとかした方がいいのかとかさ、そんなことばっかり毎日言われて、そんなこと言われるたんびにバカ親バカ親って言われてるようでさ。決めれられなかったっていうのも事実なんだよね。行くとか行かないとか。判断出来なかった。ここにいよう、いたいと思ってここにいた訳でもないの。迷ったまま、ずっと迷って結論出ないまま、今も。」

奥さんと子供のみ退避、旦那さんが残っているなど、バラバラになっている家族も多い。彼女は思う。「家族一緒にいたい。離れたらもうそのまま会えなくなるかもしれない。だったら一緒にいたい。」

2人は娘をなるべく家の中で過ごさせることにし、外気に当たらないように窓を閉め、換気口を閉じた。外に出る時は完全防備。最初はマスクも無く、手やハンカチで口を押さえさせて移動した。紙のマスクがやっと手に入り、つけさせると、「マスク苦しい苦しい」とコハルちゃんは泣いた。

おばあちゃんがハンカチを三つ折りにしてゴムを通し、苦しくないコハルちゃん用ハンカチマスクが出来あがる。玄関に帽子とマスクとヤッケを置いて、習慣付けさせることもはじめた。「癖をつけさせようって思って。守るってそれしかないから。教えてあげられるのはそれしかないから。」

子供を置いてるのは自分のところだけだと最初は思っていたそうだ。あるとき、湯本に残っていた友人からメールが届く。「遠くの友達から「早く来い早く来い」ってメールが届くんだけど、そのメール見るたびに「ダメな親だ」っていわれてるような気がして、どうしていいか分かんなくて毎日涙こぼしてる。そうすると子供も、「ママどうしたの?」ってもうそれが辛くて。」ああ、他にもいたんだ。みんなそう思ってたんだ、と気持ちを共有する。

「逆に避難した人は、逃げたって言わないでって言うの。そんなさ、残った人は逃げたなんて言う人いる訳ない。よく決断したねって。頑張ってねって思うよ。避難した人も避難せずにいた人も、どっちも辛いんだよね。行っても残っても大人も子供達も不安抱えて、おかしくなって、熱出した、幻覚見た、なんて人もいたりしてね。」

勇一さんはいつでも避難は出来る最低限の準備をし、事態を見守った。「でも何度も、もうダメだアーって気持ちにはなりましたねぇ。」ヘリコプターから撒かれる水が風に流される映像が流れ、ホース車も最初水が届かなかった。暴走が止められるのか緊張が続く。しかし余震は関東でも起き、遠方でも放射線数値が高いといった現象が報告され始めた。逃げたって同じだという結論に至る。

結局、安全なところなど、どこにも無いのだ。

ならば、子供にいつもと同じ生活を感じさせてあげたい。日常を過ごさせてあげたい。どうやったら子供に不安を与えないですむか?普通でないことも、いつもと同じように振る舞い、いつもと同じように見せることしかない。

残る決意をすると、夫妻は地元の情報をtwitterで流すために近所のスーパーや給水所の様子を見回り、湯本の有志との炊き出しを始めた。醤油などの不足しているものがあると、twitterやFMいわきで呼びかけて集めた。物資流通が滞る状況が続く中、湯本では1つの旅館を拠点にして、必要な人が取りに来ることができるよう仕組みを整え、また、お年寄りが多い断水地域などに物資を届ける活動も始めた。

そうやって外にいる間は原発のことを聞かずに済んだ。帰ったら疲れて寝る。
そして何よりコハルちゃんも旅館の広いところで遊べた。他にも1人子供がいて、一緒に遊んでもらえたのもよかった。

4月。人が戻り始め、水の復旧も進み、普段の生活が戻り始める。勇一さんの仕事も始まった。

元東電の叔父と原発反対派の父を見て育った勇一さんは言う。「エネルギーが足りなくて原子力やんないと賄えないんだなって。じゃあしょうがないなって容認してた人、多いと思うよ。でも自然エネルギーで東北地方沿岸部ちゃんとやれば賄えるって、他のエネルギーで代用がきくって聞いたら、えええええ?ってなるよね。だったら、もっともっといろんなエネルギー開発やってほしいよね。火力だって風力だって発電は危険が伴うものだけれど、原発は事故おこすと何万年でしょ。それは危険は同じって言えないよね。」

ヒカルさんが、震災直後に撮影した映像があるよ、と携帯を手に取った。
「子供のこと思ったら、原発はいらないって思う。でも原発がいらないことを主張するんじゃなくて、なくても私たちはこうして生活して行けるってことを主張できるようにしていきたい。エネルギーシフトしていくためには自分の生活をどう変えて行くか?ということを考えたい。必要ない電気は消すとかちょっとしたことでもね。エネルギーのこともマスクのことも、親が意識しないと、子供は意識しないから。ちゃんと意識して、子供に、原発がなくても大丈夫な生活を見せていけたらいいなと思う。」

映像には震災の翌日のコハルちゃんが映っていた。お外に出れないコハルちゃんがキャッキャッと声をあげながらパジャマで踊っていた。
「太鼓の達人」という踊りだそうだ。

震災は、少女の日々には何の関係もないように見えた。