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2009年、ガブリエラはハンガリーに仕事で来ていた日本人と恋に堕ちた。

国境を越えた2人の恋はやがて国際結婚へとその実を結ぶ。そして彼女は、ハンガリーのブダペストから日本へと、昨年の夏にやってきたのだった。

「いわきの自然の素晴らしさに心打たれます。わたしはよく散歩をします。新川の川沿いに住む白鷺が大好きです。」とブルーの瞳を輝かせて話す彼女はとてもキュートだ。

3月に入った頃から何とも言えない変な感じを彼女は覚える。

10日の夜、どうにも落ちつかない気持ちに襲われ、新川を散歩しよう、と、1人で夜の河原を1時間ほど歩いた。11日は普通に目覚め、彼女は午前中の日本語の勉強会に行く。昼過ぎに家に戻ると、ベッドの上に寝転がり、聖書を広げて読み始めた。揺れが起こった。

ガブリエラはバラが生けられた一輪挿しを急いで流しに置く。さらに大きな揺れ。玄関へ続くドアを開け、机の下に入った。マンションの9階、凄まじい横揺れが机と彼女の体を部屋の左へ右へと滑らせる。

とにかく外へ逃げなければ。少し揺れが収まった隙に彼女は机からはい出して鞄を手に取ると、読んでいた聖書を胸元に差し込み、靴を履いて玄関から駆け出し、仕事場の夫に電話をした。やはり繋がらない。玄関の鍵をかけ、廊下を見渡す。エレベーターは止まっている。
階段を使うしかない。マンションは音を立てて揺れつづけていた。

「死ぬかもしれない。」そんな思いが飛来する。打ち消すように「この建物はまだ新しいから大丈夫。」と自分に言い聞かせた。

地面まで一気に駆け下りると、公園にたくさんの人が集まっているのが見えた。道路を歩くと足下には亀裂が走り、信号機の止まった交差点で車が立ち往生し、電柱が秋草のように揺れていた。

彼女は走る。いつも行っているカトリック教会を目指した。教会には、友人達が集まっていた。やっと少しだけ安堵をする。ここまで来れば大丈夫。設置されたテレビから、凄まじい津波の映像が映っていた。とても1人で戻る気にはなれない。夫に教会で待っているとメールを打った。

家に戻ってもいつでも逃げられるよう、服を着たままベッドに入った。揺れるたびにドキドキし、寝られないまま朝を迎える。震災後の日々の始まりだった。

断水。電話もネットも通じない。情報源のテレビを付けっぱなしにして過ごす。原発事故がテレビニュースで騒がれ始め、海外の家族や友達から心配する連絡が押し寄せる。彼女たちは「避難しない」という道を選んだ。ハンガリーの報道の取材に応じたり、現地の情報を海外へ送り始める。

「遠くからみると、一番恐ろしい部分しか見えない。遠くの人は、津波に飲み込まれるんじゃないかとか、原発の近くで避難した方がいいと言う。だから私は正しい情報を伝えよう、それが私の義務だと思ったんです。

もし、1人でいたら帰ったと思う。今は夫といて、夫が母国語で状況を判断してくれる。彼が恐くない限り私も大丈夫と信じることにしたんです。不安はあるし帰る事も考えた。でも私が帰ったら、海外の友達はもっと不安になると思った。夫とも離れていわきに対して何もできなくなってしまうし、そうなったら私は頭がおかしくなってしまうに違いない。だったら出来るだけこっちにいてここにいるみんなと一緒に頑張ろうと思ったんです。」

爆発が連続して起き、彼女の子どもがいる友人達は次々と県外へ避難して行った。家の中から外を見ると、ゴーストシティみたいだった。

「自分のマンションに一体何人の人がいるのだろうか?向いのマンションにも明かりが少なく、道を歩く人もほとんどいない。みんな避難してしまったんだと思いました。翌日水を汲みに外に出たら、残った人がいることがわかって少し安堵したのを覚えてます。」

外に出るときはマスク、部屋の中はできるだけ密閉の状態をキープした。彼女は1日に2、3回バルコニーに行きそとの状況を見る以外は家の中で過ごした。そしてたまに換気をした。ちょうど直前の土日に食糧を山のように買っていたので、一ヶ月分くらいの食糧は確保してあった。「お米があれば大丈夫、お米があれば生き残れる。」そんな生活が一週間程続いた。

86年のチェルノブイリの事故の時、ガブリエラは4歳だった。ウクライナ近くにあるハンガリーにも、風に乗って放射性物質が降り注いだ。しかしそのニュースは政府によって隠蔽され、ハンガリーの人々は政府を信用出来なくなってしまった。

「日本人は政府をまず信用する。そのあと考えて批判する。ハンガリー人は逆。まず疑う。それから考えて信用出来るか決める。」

彼女の中にはその2つがどちらも存在している。「今は放射線量はどんどん低くなっているし、毎日外にいてもさほど危険は無い。まだ収束はしていないので安心は出来ないけれどすぐに避難しようとは思っていない。日本は地震が多い国なのでもっと立地や安全性を考えた設計を考えてほしいとは思うけれど、私は学者ではないので原発の批判はできないし、生活で電気が無いと不便なので原発に対して異を唱えようとは思わない。でも自然エネルギーに切り替わる方針は必要だと思う。少しづつ原発の代わりに水力、太陽光エネルギーを使用していくのが望ましいと思う」と彼女は言う。


その後、いわきに残ったガブリエラはボランティアに登録した。食糧配布に続いて海岸地域の瓦礫撤去のボランティアがスタート。そこで初めて、津波の被害を目にする事になる。同じ市内での被害状況の格差に彼女はどうその人たちと接したらいいのか分からなかった。ショックと悲しみの感情を抱きながら、仕事だけを黙々とこなす日々が続いた。

しかし一方でボランティアの時間は彼女に新たな嬉しさをプレゼントしたのだった。誰も経験したことのない事態の前では、文化の違いそのものがなくなる。"外国人である"という扱いが消えたのだ。この時から、いわきは彼女のホームへと変わった。

少しずつ人も戻り始め、復興へと向い始めた矢先の日のことだった。いわきに411の余震が起きた。余震は日が暮れる頃、5強の揺れは真っ黒い雨雲とともにやってきた。地震と同時に明かりが消え、部屋は真っ暗になった。

「もう十分だ。」と彼女は思った。
「津波の地域の復旧もほんのすこし進んで来ていたのに、また振り出しに戻るのか。」

放射能を含んだ雨が閉め切った窓の外を濡らし、雷の光が明かりの消えた部屋を照らした。外には雷鳴が響き渡っていた。震災後初めて涙がこぼれた。


その夜、彼女は一瞬の夢を見る。

"今日はゆっくり眠っていいよ。疲れているね。
今日は寝ている間は迷惑はかけないよ。"
地球が語りかけてくる。

そんな子供っぽいイメージに何だか可笑しくなった次の瞬間、くっきりと輪郭を持って、彼女の中にある感覚が刻み込まれた。


"この地震はいつでも来る可能性があるのだ。
これからないということは誰にも言えない。
原発の問題は今凄く大変だ。けれどもいつか解決するだろう。
しかし、地球の変動には終わりが無いのだ。
それが事実だ。

これが日本に生きるという事であり、日本人の心なのだ。
安心して生活を送ると同時にいつも避難への心の準備をする。
そういった相反する2つの事を同時に共存させることが今の私なら出来る。

いつまで生きるか分からない。明日がどうなるかわからない。
私がすべきことは、今の悪い状況から勉強して私自身が成長することしかない。
前に進むことだ。 "


それからしばらくして、彼女は夫と共に三春の滝桜を見に行った。
青空に咲き誇る満開の桜は、神様がくれた美しい贈り物のようだと思った。

「今の辛い状況も、
きっと乗り越えた後でこの桜のように奇麗な花になって咲き出す。」

そして彼女は、胸の奥の方から、何かが湧いてくるのを感じた。