樹々が生い茂り、多摩川が近くに流れる府中の家に移り住んだ頃だった。多摩川河川敷に遺棄された動物の保護活動を続ける、ある夫婦のドキュメンタリーを見た。それは彼女の人生の転機だった。地域での猫の保護活動が彼女の日常の一部となった。餌や世話をしないと死んでしまう猫たちのことを思い、夫婦で旅行にも行かなくなった。10年程前のことである。

3月11日、地震と津波に引き続き、原発の事故が発生した。緊急事態の中で、唐突な避難を迫られた住民の人々は、バス移動、避難所、ガソリンの不足などの問題を抱えながら「2、3日で戻れるだろう」という気持ちに希望を託し、その多くがペットを置いていく選択をせざるを得なかった。しかし、コンパス状に描かれたライン内から忽然と消えた住民の姿は数日たっても戻ることはなかった。残された動物達の多くの命は失われ、生き残った動物達が、餌を求めて人のいない町を彷徨い始めた。

すぐに動物愛護団体や個人が保護に動きだした。彼女もまた、身近にいる遺棄された動物たちと同じ問題が、福島でも起こることに想像が至った。やがて彼女も、個人として仲間と連携をとりながらの活動を開始した。

ph_photo_t027.jpg保護活動は、避難所や仮設を回っての飼い主へのヒアリングからスタートする。家の場所とペットの特徴、万が一の場合、写真は必要か、お骨の一部を持って帰るか、お線香をあげるかどうかも、予め聴いた。飼い主は皆、悩み尽くして決断したことだとはいえ、置き去りにしてしまった罪悪感に苛まれていた。

防護服を着こみ、大量の餌と保護のためのキャリーケースを車に積んで避難区域内に入る。地図を頼りにその家へ行き、保護を試みる。無事保護が出来た動物たちはシェルターへと移され、避難所や仮設では飼えない事情などに対応して、里親の募集もなされた。その一方で活動は、立ち入りの禁止措置が取られている避難区域内での警察との攻防戦となっていた。パトカーに追われ、何度もの職務質問。ゴミ箱に隠れたり、数台が囮となり動くこともあった。警察から逃れる極度の緊張感が毎度襲い、緊張からキュルキュルとお腹が鳴り出す。「めちゃくちゃなことしてると思います。でも、餌をあげないと飼われていたペット達は死んでしまうから」

初めて入ったとき、彼女は号泣した。
これほど大量の動物の死骸を見たことがなく、死に方も尋常ではなかった。
「家の中の猫、首輪で繋がれていた犬は、動けず、餌がほしくて、水がほしくて、もがき苦しんだ痕を見るのが、とても、辛い」
怒り。何に対する怒りか分からない。ただ涙が止まらなかった。
泣き続ける彼女の首を、一緒にコンビを組んだ青年が鷲掴みにして言った。
「次があるから、警察来るから、泣いてる暇無いよ」
タオルかぶせ、余裕がある時は石灰をまいたりお線香やお花を手向けた。生存が確認出来た場合や、運良く保護出来た場合は、シェルターの名称や給餌状況などを書いた紙を貼り、動物の写真を撮り、すぐ次の家に向った。

「以前飼われていても警戒心を強めた犬猫も多いので、給餌場を作り、餌を撒きます。作業員などの人がいる地域であれば餌をもらえるのですが、それ以外は給餌がライフライン。他の家に入って生き延びている犬猫もいます。入り込んでいるのを見つけたら、そこに餌を撒きました。一時帰宅で、ペットを飼っていなかったのに家が汚れていてショックを受けた家も恐らくあると思う。排泄物があったりもするし。すごく申し訳ないことをしていると思っています。でも、動物たちの命には変えられない気持ちでした」

動物保護はノウハウを持っていないと難しく、飼い主にも容易に出来ることではない。12月に行われた国の許可の元でのNPOによる一斉捜索で、犬の回収はだいぶ進んだものの、去勢している犬も約半分、猫は稀だったことが、問題の深刻化に繋がった。また、保護された動物たちは、エイズや白血病の動物も多い。放射線との相関関係があるかどうかは分からない。保護活動をする人たちも、鼻血を出すのはしょっちゅうだそうだ。
「これくらいの外部被爆は、原発で作業にあたっている人たちのことを思えば、全然平気です」と彼女は言う。

「ゴーストタウンに行く活動なので、まだまだ私は"有事"の只中にいるような感覚ですが、未来に向かっている福島の人たちとは、月日が経つにつれて、少しずつズレ始めている気がします。福島の人たちのツイートやブログからは日常や慣れを感じますし、避難している人たちも「もういいよ」と。周りからは「人に目がいってない」「放射能について真剣に考えてない」と批判されることもあります。また、この活動自体も、全ての保護は難しく、給餌だけで助けるのは不可能というジレンマを抱えています。それでも、少しでも生き延びられる可能性があるのなら、頑張り続けたい。見捨てられた命でも、私たちは諦めない。国が見捨てても、私たちは諦めない。人間代表として、こんなことになってごめんね、と」

夢をよく見る。
映画のセットみたいな、あのゴーストタウン、明け方に見る美しい風景。あのわんちゃんねこちゃん元気かな。先週、目がおかしかったから、今週行ってもし塗ってあげられたら薬を塗ってあげよう、夢の中でも彼女は福島へと足を伸ばす。

「東京に戻れば、お笑い番組見て笑ったり、外食を楽しんだりもしますが、3月11日から、未だに不眠症、毎日泣いてる。東京であっても十分怖い思いをして、トラウマになっている人も沢山いて、でも津波も原発もないから申し訳なくて、怖いとか大変だったって言えない。それがもの凄い重圧で、自分は全然マシだったっていう罪悪感で、絶対に弱音を吐けないから、感情の吐け口がなくて苦しい。
もっともっと福島県民と飲むべきかもしれない。福島にレスキュー活動に通っていても、この世の終わりみたいな福島しか私には無いから。福島の人たちと飲んだら、虚無感をもったり、悩んだりもしてしまうかもしれない。それは、いいことだと思う。
でも、もっともっとシビアに向き合わないと。日本中、世界中が、とてつもない被害になっているし、これからも広がって行くので『いや、大丈夫ですよ』というスタンスをもう取れない時期が、認めなくてはならない時期が、来ると思う」


その後、彼女は福島の人々と共にいる時間を増やし、その気持ちにより近づく方向へとその活動を変えていった。飼い主の喜びや人々が光を持って歩むために出来ることを、動物たちの問題とともに探る。それは、簡単なことではない。

今では、東京に住む彼女が、福島の原発近くの町の小さな路地まで把握している。
今年も桜が咲き、川が流れ、田んぼがあり、
美しく広がる日本の山里の、人がいない風景の中で、
彼女は被爆しながら餌を撒き、花を手向け続けている。


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